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正義がひとりを揺らす。

自分の人生が映画化したら、主題歌はYUKIの「誰でもロンリー」にする。

弾けるメロディとYUKIの伸びやかな歌声は僕のギアを上げてくれる。何といっても歌詞がすきで、YUKIの口から発せられるからこそ意味をもつ詞が綴られている。

楽しそうに笑って 誰でもロンリー

悲しいかな、誰にでも孤独の波は打ち寄せる。

無我夢中で追いかけた夢。過度に応えようとした期待。改札口で別れた直後に死ぬ表情筋。家族が寝静まってから始まる参加者自分だけの晩酌。バラエティを観てこぼれる不気味な笑み。深夜から明け方にかけてのSNS。

人は、最後にはひとり。
どこまでもたのしくて、どこまでもひとり。


自粛期間って、今思うと一体なんだったのだろう。

言うまでもなく、みなひとりだった。それぞれの生活は続いた。僕としては自粛期間の後、つまり緊急事態宣言が解除されたつい最近の方が参っていた。

数か月ぶりに会った美容師さんが言った。「自粛してくださいと言われればしっかり自粛する日本人は愛おしい」と。たしかにそうだ。さばさばした性格をしている美容師さんが言うもんだから、妙に納得した。

でもどうだろう。宣言が解除されて基準がなくなった。僕はとたんに、正義がわからなくなった。


それまでは見えない正義があった。今外出したら批判の的。今友達に会おうなんて言ったら失望される。逆に言ってくる友達がいたら嫌わない自信が自分にはない。気づけば同調圧力という言葉の文字数だけ、見えない正義を数えていた。

SNSには己の正義を振りかざしている人がたくさんいた。でも自分だって感染したくないし、事実に基づいた情報は欲しかった。だからSNSは続けてみたけど、やっぱり事実だけを拾い上げるのは難しくて何回かログアウトした。

ログアウトしたときにはもうやることが自分のなかで決まっていた。自粛期間中は毎日出社せざるを得なかったから、「自分がもらわないように、自分が運ばないように」の心持ちで予防に努めた。これでかかったらしょうがない。随分と悟っていた。

すきな映画のTシャツが受注生産で発売された。普段ならそれだけで買わないが、価格の一部が医療従事者に寄付されると書いてあるから思わず親指を滑らせた。

日本で台風や地震が襲ったときもそうだった。千円ぐらいの少額でも自分が貢献できている実感がうれしくて、大人になってから寄付は心がけるようになった。それを親にぽろっと言ってしまったとき、変に感心されてしまって、そんな自分は変かと感じた。正義が揺れた。


Skyrocket Company(ラジオ番組)でマンボウやしろさんが言った。「緊急事態宣言が解除された今、各々が自分のなかに正義をもち、それを守っていくしかないのかな」と。仕事中に心をぎゅっとつかまれた。

自粛期間中に外出して咎められる人がいれば、今はいわば無法地帯が広がっている。最近の僕は一歩まちがえれば他人の批判をしかねない黄色い線の内側で悶々としていた。

でもそんなダサいことはできなかった。居酒屋で友人に説教するとはわけが違った。顔も知らないSNS上の人を取り上げて指摘をするなんて、それこそ自分の正義に反することだった。マンボウやしろさんの言うように、自分のなかで決めたことに従って生きるしかなかった。

仲間と再会できたときに話せるような、没頭できることをひとりでやり通そうと思った。そうやって正義を追求しながら、孤独と孤高の衣装を代わりばんこで身に纏う。さみしさと強さの差は紙一重になった。


YUKIの「誰でもロンリー」は、ひとりの真理を表しているだけではない。

奈落から這い上がれ 誰かのアイドル

紛れもなく希望の言葉だ。みんなひとりでありながら、誰かの目にはアイドルとして映っている。少なくとも僕はnoteでそういう人をたくさん見てきた。文章に限らず、音楽でもスポーツでも対象は各々の内にあるはず。

この「誰もロンリー」という曲は最初から故意に狙った作詞ではなく、YUKI自身が口をついて生まれた言葉らしい。これを知ったとき、ひどく安心した。

だって曲を初めて聴いたとき、「楽しそうに笑って 誰でもロンリー」なんて、そんなかなしい真理があってたまるかと思っていたから。あんなに全身を余すことなく動かして楽しそうに嬉しそうに歌うアーティストなのに。

だからこそ安心した。歌詞に最初から意味をもたせないからこそ、それが踊り歌うYUKIの指先から自然と万人に届いた。まさにYUKIが僕にとってのアイドルだった。


人は孤独から逃れられない。それと同時に二人でいるときの愛、三人でいるときの喜び、四人でいるときの楽しさを知っている。だから他人の存在が原動力になる。結局は人に助けられている。孤独にはなりきれない。

みんな誰かのアイドル。そうでなきゃ音楽なんか聴いてられない。この文章も書いてられない。誰かが見てる。誰かを救うかも。誰も見てない。行ったり来たり。それでもやる。ひとりでやりきる。正義を貫き通す。

さみしさと強さの境界線をときおり揺れながら、誰も知らない夜明けを目指している。


頂いたお金によってよもぎは、喫茶店でコーヒーだけでなくチーズケーキも頼めるようになります。