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No,250.SNS利用について「包丁は美味しい料理も作れるが、武器にもなる」


はじめに

記念すべき250回目の記事になります。
よくもまあこんなに考えることや思うことが尽きないな〜と気が滅入ります💦
今回もお付き合いしていただけるとありがたいです🙌

記念すべき250回目の内容はSNSについてです。

SNS(x(旧Twitter)・Facebook・Instagramなど)って人からの情報や発信が安易に出来てとても便利ですよね。

安易が故に、使い方を間違えると大惨事になりかねません。

そういった事例からメディアリテラシーやらSNSリテラシーが叫ばれていき、『文化と環境』(1933)の出版からメディア教育の歴史が始まる。

メディア(SNS)リテラシー

SNSの浸透は、誰でも情報の受発信に主体的に参加できるメリットを生んだ一方で、対面コミュニケーション以上に他者の権利侵害や名誉毀損など生み出すことになっただろう。
その理由は、フレ ーミング(炎上)や拡散など、伝達速度と情報の質・量面での被害の大きさ、終息処理の難しさにおいて極めて特殊である。

そのような背景から、多くの研究者はメディア(SNS)を利用する技術や、伝えられた内容を分析する能力が必要だとしてメディアリテラシーについて研究されている。

例えば、発信者(投稿する側)について、鈴木(1997)は「市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディア にアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創り出す力」と定義している。

また、市川(1999)は受信者(見る側)について「受信者たる自分に対しても常に批判的な目を持ち続ける能力」と定義している。

毎回思いますが、研究者(論文)の定義ってややこしいですよね。

咀嚼すると、発信者がSNSに投稿する内容は、「自分なり(投稿者)の考えで解釈したことをSNSを通じてコミュニケーションをする方法」であり、

受信者側は「SNSの情報を鵜吞みにしてはダメですよ」って意味だろう。

リテラシーが高い人はどんな人?

SNSを利用するにあたって、楽しく利用できる人はそのような人だろう?

中橋(2014)はメディア・リテラシーに必要な代表的な能力として、

①「情報内容から背景にあることを読み取り、想像力を働かせて解釈、鑑賞できる」読解力

②「情報内容の信ぴょう性を判断できる」批判的能力

③「送りてとなる責任や倫理を理解できる」考えをメディアで表現できる能力

④「相手の解釈で自分の意図がそのまま伝わらないことを理解している」メディアにおけるコミュニケーション能力と示している。

実際のコミュニケーションよりSNSって高次のメタ認知が必要じゃなかろうか?

さいごに

記事を書くにあたって、さまざまなメディア(SNS)リテラシーについて調べてみた。そのすべてを記事にしたら、論文に近い文字数になってしますので端的にまとめてみます。

筆者作成

やはりメディア(SNS)リテラシー能力が低い人はSNSの拡散力の欠如や伝達速度と情報の 質・量面での被害の大きさを理解できず、いったん拡散してしまった内容から終息処理の難しさに苦しむことになるだろうね。

仮説だけどsnsの使い方を誤る人は、ユングパイセン(カール・グスタフ・ユング)の言うところの、実社会で見せる顔はペルソナ(周囲に見せている自分のこと仮面:真面目で誠実な人間を装うなど)で、SNSでの投稿などはシャドウ(自分自身の中に押さえ込んでいる一面のこと)かもしれませんね。

最後まで読んでいただきありがとうございます😊

引用文献

市川克美(1999)「これが“21世紀の学力”だ!―メディアリテラシーの提言」明治図書

鈴木みどり(1997)「メディア・リテラシーを学ぶ人の ために」世界思想社

中橋雄(2014)「メディア・リテラシー論ーソー シャルメディア時代のメディア教育ー」北樹出版


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