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今年も来年もまた、自分のために書き続ける

11月は手帳の季節だ。
12月はじまりの手帳を使う私は、せっかちな質だから、毎年11月になったとたんに新しい手帳を買い求めている。

紙媒体の手帳をきちんと使うようになったのは高校3年の12月ごろ。大学受験のスケジュール管理はもちろん、日記帳を兼ねて記録をつけはじめたのが一番最初だった。

当時は来る日も来る日も考え事をしていて、そういうものを鍋の底が焦げるまで強火でぐつぐつと煮込んでいた。
同時に、こういう感情は今の年齢のその瞬間にしか生み出されないということを敬愛するアンネ・フランクから学んでいたから、「アンネの日記」を読み返したその日、自分も日記をつけよう、自分のために書こう、と決心し、彼女に倣って赤い無印良品の手帳を買った。

日記をつけるという行為は、気づけば今年で5年目に突入する。
「書きたいことが無ければ何も書かなくていい」と緩めのルールを一応定めてはいるけれど、なんだかんだほぼ毎日ボールペンを走らせているし、正直ここまで続くとは思っていなかった。習慣ってなんて強い力なのだろうと実感する。

毎日のように日記をつけてきて得た恩恵は多々ある。

大前提として、その日に何が起きてどう感じたかすぐわかる。
今とは全く違う考えをしていることも多いから、たまに読み返すと当時の自分からインスピレーションを受けたりもする。あまりにも赤裸々で我ながら青いなと思うことも、無くはない。

また、文章を書くことに対して抵抗がなくなったのは間違いない。
読むのはずっと好きだし書くのも嫌いなわけではなかったが、日記をつける習慣がなければ、ライブレポや読書記録、旅行記などをつけようという発想も、それを公開してみようという感情も湧いてこなかったと思う。
考えていることをノータイムで書き出せるようになったのも大きい。

そして何よりも、文字に乗せて書き起こすことで感情を整理しコントロールすることが上手くなり、自己を肯定できるようになった。

周りが思うほど私はしっかりしていないから、いつもぼんやりしていてポカをするし、あまり器用でもないし、へこみやすいし…ととにかくネガティブでいつも生きづらさを感じているのは否定できない。だからこそ、それらもすべて込みで手帳に日記を書き記している。
対して、楽しかった記憶も、美しいと感じたことも、嬉しいと思えた言葉も過去の自分がちゃんと残しておいてくれていて、日記をつけることを通して、生きてて良かったとか明日ももう少し頑張ろうとか、そんな風に思えるくらいには成長することができた。

文章って、言葉って、偉大だ。こうやって人の中に残り続ける。
だからこそこれからも書くことをやめないだろうし、誰かに向ける言葉すらも大事にしたいと感じる。

今年は白い手帳を選んだ。
真っ赤なアンネの日記に倣うわけでもなく、気張った黒を選ぶのでもない。
自らの意思で決めた1年の行く末を綴るべく、ただ白くまっさらな気持ちで、自分のために日記を書き続けようと思う。

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