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卒業によせて

実際のところを言うと、自分が修了する実感は正直湧いていない。春からの生活環境がこれまでと大差ないからだ。
無事に学部の単位を取得し、卒業が確定したと同時に大学院への進学も決まった。暮らす家もキャンパスもこれまでと同じで、院生が使う部屋は学部生の部屋のすぐ隣。研究室も現在進行形で所属するところから変化なし。
4年間を無事終えられることへのめでたさは、卒業袴の撮影会ですれ違った大学の清掃員さんに「おめでとうございます」と言われたとき、ようやく実感した。

私はあまり変わらないけれど、周囲は変わっていく。
大半の人がいわゆる「社会人」になる。大学に残って研究活動をしたいと考える人間は、どう考えてもマイノリティなのだ。

卒業式を3月末に控えた現時点で、既に数人の友人を見送った。
高校を卒業するときみたいに簡単に「また会おう」とは言えなかった。
人間が、いつどのタイミングで人や生と別れるかは誰にも分からないことを身をもって知ってしまった今、無責任なことは口にできなかった。
「さよなら」とも言えない。友達だもの。
大人になってしまったな、と思う。そしてまだまだおこちゃまなのだろうとも思う。

今年は、これまでで一番苦い春なのかもしれない。
春は桜が咲く大好きな季節だけれど、人との結びつきを色濃く映しすぎる。

今日も、所属する団体の大会要項を斜め読みしたとき、一緒に大会に出る同期はもういないことに気づいてしまった。
講義やバイトがどうだとかそういう話をしていた私たちは、次に会った時には、これまで話す必要のなかった近況報告と思い出話ばかりをするのだろう。

多分、想像力が有り余っているのだ。
寂しさ、悲しさ、苦しさなんて適当にあしらってしまえばいいものを、スピッツの『春の歌』を聴いて自ら首を絞め苛めているし、別れ際の顔を思い出しては涙が止まらなくなる。バカだ。

それでも私は、本気で、切に願っている。
私に関わる全ての人が、それぞれの暮らす場所であなたらしくあれますようにと。もっと言えば、幸せであるようにと。

4年間。楽しかったよ。

この春の歌を聴いてもう少しだけ思い出に浸ったら、私も変わっていこう。
たくさんたくさん、やりたいことがある。

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