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何の役に立ち、何が面白いのか

私は理系の大学院に進学する。

元々、大学入学当初は教員を目指していた。親が教員で、その影響を受けて抱いた、幼い頃からの夢だった。大学受験の時点で教育学部には合格できなかったが、別の学部に合格し、そこで教職課程を取ることにした。「子供たちのための教育を」という熱意もあったし、順調に単位も取れていた。

しかし教育実習の申し込みをする段階でふと気づいてしまった。「ああ、私は教えたいのではなく、私自身が知りたいのだ」と。「私が教員になりたいのではなく、親が私になってほしかっただけだったのだ」と。そりゃあ、大学の推薦入試の面接練習で志望理由がすらっと出てこない訳だ。面接官も見透かしていたのだろう。教員になるという夢は、私の夢ではなかったのだから。

以降、教職科目を取るのをやめ、勉強の内容は学部のカリキュラムのみになった。
大学での学びは本当に無知からのスタートであった。それでもある実習をきっかけに「もっと知りたい」と思うようになったし、それと同時に大学院への進学を考えるようになった。

私の所属する学部は、一般的に言えば「役に立ちそうもない」分野だ。
そこで学んでいる自分からしてみればそんなことはない思うのだが、研究テーマから有用性を簡単に見出せるほどのものではないのは事実だ。実際、別の理系分野の友人と卒業研究の内容について話したとき、友人らは「いかにして応用するか」「どうすると利用価値が生まれるか」を真剣に語っていたし、医療系の大学に通う一番仲のいい友人は「それの何が面白いの」と問うた。

なぜ進学するのか。
何の役に立つのか。
何が面白いのか。

進学理由については、端的に言うと「卒研で終わらせるにはもったいない、もうちょい研究をやりたい」というところだし、進学の志望理由書にはその考えと卒研のテーマを元により詳しく書くことができるだろう。

しかし、何の役に立つのか、何が面白いのか、に対しては正直なところ明確には答えられないのが現状だ。
この世界で学び、社会に出たときにはきっとそういうことを聞かれる機会も増えるだろう。多くの研究において、月日を経るごとに研究の予算が削られていっている現実が、その最たるものである。
大学に入ってから進学を志した私は、ただただ学ぶ贅沢を全身で享受し、興味や好奇心、ロマンを追い求め、「知りたい」という欲求に忠実に従っているだけだ。
胸を張って答えを提示できるようになる日は一体いつになるのだろう。

はじめから大学院に進学を希望していた人や卒業生、先生方なら、その問いに何と答えるのだろうか。
不躾だろうが、飲みの席ででも聞いてみようか。

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