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写真を撮っている私の本音

写真を撮ること

記録のための写真

私にとって写真を撮ることとは、あくまでも記録のような気がしている。
人生一度きり、今という時間にもタイムマシンがなければ戻ってこれない。
経験も重なれば感情や感覚は同じようには戻らないと思う。

お出かけした時、美味しいご飯が食べれた時、
お隣の席の人と仲良くなれた時、考え込んで落ち込んだ時

感情や経験が伴うから同じ景色でもその日その時で意味は変化する。
それを記録したのが写真であり、
私の場合文字と一緒に投稿をして残しておく。

これが私の普段の写真を撮る行為のモチベーション的な話

私にとってはまだまだプライベート

写真を撮るってなんか恥ずかしい
撮られるのも撮るのも恥ずかしい
自意識過剰なんだろうけど

撮るという行為は
時には声を掛けるし、同意がなければ普通に盗撮だよね(笑)みたいな
目があった写真を撮るにはこちらを見つめてもらわなければならない
大袈裟かもしれないけどデッサンしている感じ

その人をファインダー越しに見つめて、観察し、
ここだと決めてシャッターを切る

私はカメラを持っていなくてもよく人の顔をまじまじと見ることがある
人間の美しさだとか
その人の持っているパーツ的な魅力やオーラの根源が気になる

本当はもっと近づいて、明るいピンボケする良いレンズ使って
静かに撮ったり、楽しく撮ったりしたい

写真撮る人達って本当にすごくて
コミュニケーションが前提にあってこそ良い写真を撮ることが成立するので
自分が自信なさげだったり、恥ずかしがったりしていてはよくない。
それもわかっているつもりだけどなかなか難しい

また、写真撮っているからって百発百中で良いものが取れるわけではない
こちらも構えてしまう

こちらに持ってきたカメラはミラーレス一眼なため
見るからにカメラだし、本格的に見えてしまうという悩ましい状況にある

インスタグラムの写真について

何を投稿する?

私のインスタは結果的に風景や食べ物、友人の写真ばかりだ
唯一無二性が欲しいんだと思う
そして自分の体=容姿以外
で価値を感じて欲しいという意識の表れなんだと思う

自己肯定感あがる?下がる?

プリクラや自撮りなど加工して投稿
良い写りのものが撮れるまで試行錯誤

写真とは瞬間を切り取ったものに過ぎなくて、
写りの良し悪しの議論をしたらさらに長くなるが
私は自己嫌悪に陥るのであまりやりたくないというだけ(笑)

俗世間と少し離れたい

さらにいうと大衆化、一般化しているような写真や投稿には興味がない
写真も今の時代、カメラをわざわざ持たなくても
スマホで簡単に撮影ができるようになった

画角や使用している加工・フィルターアプリ
こうすれば映える こうすればエモい

大衆化されることによって価値を失っていく感覚が気持ち悪い

仕事にする難しさ

写真家という写真をアートとして表現する人

フォトグラファーという依頼者の要望に沿った写真を撮影する人

が存在すると最近よく言われるようになり、区別されてきた。
この中間が理想的なんだと思うけどすぐお金に換えるには後者の方が効率が良いのだろう。でもそれでは自分の価値を失うことになる。

展望

写真家を目指し、自分の世界観の表現を試行錯誤しながら
脳内のアウトプットをしていきたいと思う

そのためにはまずそれっぽい写真を撮る練習から
基礎なくして応用ができるはずがない

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