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闘う相手

家族で出かけた日は、翌朝のパンを買って帰る。
ホームベーカリーのパンもいいがお店のパンもうれしい。豆を挽いてコーヒーを淹れ、欲張りだからお味噌汁も(パンの時はお椀ではなくカップに装う)サラダも茹で卵も、果物とヨーグルトも食べる。
コーヒーサーバーや牛乳の器、各人のバターナイフにスプーン、たった3人の家族でも洗い物はけっこうな量になる。


皿やカップの積まれたシンクの前にひとり立つ心持ちは、攻略できるが手ごたえのあるゲームを始める時のような感じだ。ゲームはしないけれどきっとそうだ。小さな闘志を抱いてスポンジを手に取る。見てなさい、と。


雨の止み間、走りに行こうと着替えているとまた降り始める。無理矢理出て走り始めると帽子が風に飛ばされる。負けるもんか。
ケアマネさんから連絡がくる。遅れている事務所の開設がまた延びそうで、申し訳ございません来月には。そうですか。
リハビリ施設から電話。国からのお達しで利用費を値上げさせていただきたいのですが。そうですか。



大きな食洗機は、いつの間にか使わなくなってしまった。かつて出会ったアメリカ人精神科医の言葉を思い出す。女性にとっては皿洗いはトランキライザーなのよ。そうなんですかね。

器たちが泡を纏って積み重なる。この泡が汚す水もあり、この泡が消してくれる濁りもある。

カラフルな洗剤も泡は白い。その訳は、光の乱反射、だったっけ。海の泡立つ波頭が白いのと同じ理由だと何かで読んだ。


大雨が降り暑さはとどまるところを知らず、地球からのメッセージは年々声高になる。この洗剤も使わない方が良いのかも知れない。

落ちた水滴を布巾で拭く。攻略完了。スポンジをギュッと絞る。








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