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8月5日

いまは、忘れていくことが一番こわい。
着替えも、食事も何もかもあんなに大変だった。それを忘れていくことがとてもおそろしい。

起床時間は変わらず、むしろ少し遅いくらいであるのに、朝食が早く整うようになった。洗濯機のスイッチを押すのもずいぶん早くなった。

ほんの数日前のことであるのに、父とともにある朝の時間が過去のことになっていく。
朝起きて、自分の身仕度を済ませて階下に降りると、持って降りてきたコップを台所で洗う。洗濯物を抱いたまま、父の寝室をのぞいてお父さんおはようーと声をかける。洗濯機にタオルやらを投げ込んで、台所へ戻る。いやその前にお仏壇の水を取り替えてお線香を上げる。玄関を開けてゴミを出し、家の前を掃く。朝刊をとって家の中に戻り、台所へ。お弁当を詰めて、朝食の仕度。お味噌汁の野菜が半分くらい煮えたら、火をとめて父のところへ。お父さん動かすよー、おふとん取るよー、と声をかけて着替えにとりかかる。父は目を覚ましている時も、また寝てしまっている時もある。朝の父の話になると、母は
おはようと言うとおはようと答えてくれたよ
と必ず言う。そう。
お父さんおはよう、大丈夫?
と声をかけると

だいじょうぶ

と答えてくれたと。
あ熱測ってなかったね、と体温計を手にとる。父は平熱が高めだった。リモコンでベッドの半身をおこし、上半身を立てた状態でTシャツやアンダーシャツを脱がせる。握っていたタオルも取り替える。Tシャツを脱がせるために父の背を抱えて身体をさらにおこす。これはおそらく筋トレになっていたと思う。暑い日は、いやそうでなくても無酸素運動の後のように息を切らせて、毎日わたしは父の背を抱いた。新しい下着とTシャツを着せて、両の手に新しいハンドタオルを握らせたら新しいお父さんのできあがり。襟元には畳んだハンカチをふわりと置く。ハンカチとTシャツの色をこっそりコーディネートしていた。母はいつからか靴下を履かせるのをやってくれるようになった。
父は、トレーナーやセーターやTシャツ、所謂かぶりの服を着替える時には首を傾けたりすくめたりして着替えを助けてくれた。それは、ほとんどしゃべることはなくなっていた父との大切なやりとりだった。おしぼりで顔を拭いたあとに、これでいい?と聞くと、うん、と可愛らしく頷いてくれる瞬間もうれしかった。お父さんお顔拭くよー、熱いよー、
こっちのおかおーおはなーくちー、お耳も拭くよー、とわたしはあほみたいに声をだして拭いた。わたしは楽しかった。
熱いタオルで顔を拭かれている様子を見ながら、母が
お父さん、満足そうね
と言ったことがあった。父がどうだったかはわからないが、わたしには心満たされる時間だった。朝はその後の出勤が気にかかり、夜は父のお世話をなるだけ早く終わらせて母を寝ませたくて、父の傍らでわたしは常に時間に追われていた。父のシャツを脱がせながら呻いたり、こんなに干しきれない、と洗濯物を前に半泣きでぼやいたりした。その時には忙しさしか見えていなかったけれど、その合間あいまに、幸せが存在していた。

お味噌汁は二つの鍋に分けて作る。
一つは母と私、もう一方は父のためのもの。父の方は野菜も豆腐も小さく切る。小さく小さく切る。サラダ担当の母はトマトを、サラダビーンズを入れる時には、赤いお豆を選んで父のために小さく切っていた。キッチン鋏がとても便利であることも知った。いろいろな食材を、料理を小さく小さく切った。
四角い黒いお膳を、円いお皿やお椀でいっぱいに埋めると、そこに自分と父の湯呑み茶碗をどうにかこうにか載せてベッドサイドへと運ぶ。父はよく食べてくれた。顔を拭く時と同じように、わたしはいちいち声に出す。お父さんお待たせごはんだよ、お味噌汁からいくよー今日は十六穀米のおかゆだよ次はごまどうふ、おいしい?いっかいお茶飲もうか、と。つねに喋りながらスプーンを父の口もとに運んだ。

一生懸命食べさせても、父はどんどん痩せていった。
食事の量というより、筋肉量が落ちていくからなのだろうと周りは慰めるように言ってくれた。
父のごはんの量がわからなくなって、特にお正月にはあれもこれも食べさせたりした。むかし通りの量は受けつけなくなっていて、激しく嘔吐してしまったこともあった。わたしも学ぼうとしていなかったけれど、歳をかさねこうなった人がどうなるのか、誰も教えてはくれなかった。父が、教えてくれた。

もっと頑張れた。
まだ頑張れた。
でもそんなことはいい。父は、ものすごく、がんばってくれた。
仕事に出る朝はヘルパーさんが助けてくれた。昼間は母が家にいてくれた。母には母の、ヘルパーさんにはヘルパーさんの、父とのやりとりがあった。それがあるからこそ、わたしは仕事を辞めずにこられたし、かろうじて絵描きでいることができた。

母の病院へ行かなくてはならない時は、父にひとり留守居をさせることもできないから、ショートステイというシステムをつかう。そんな時決まってする母との会話。
お父さん、どうしてるかねえ
さあね連絡ないから大丈夫なんでしょう
わたしは何故か、父の不在の晩にはいつもより入念に戸締りを確かめたりした。

ショートステイ先に会いに行ったとき、ポロシャツの袖に手を入れて、内側でめくれあがっていたアンダーシャツの袖を直したことがあった。父はこちらを見て

ありがとう

と言ってくれた。とてもうれしかった。
うちでともに夕食をとったあと、食後の果物だったかゼリーだったか、を一緒に食べた。食事を食べないことが増えてきていた。口を開けてくれず、一食まるまる残ってしまうこともあった。その日はデザートも残さず食べられて、
ああよかった今日はみんな食べられたねえ
と言うと、父も笑顔になって

よかったなあー

と言った。
みんな忘れたくない。



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