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夢は

ゆふべ寝入り端に父におおおいおおいと呼ばれ、起こされた。寝言であってくれと体を丸め枕に顔を埋めても、おおいはやまない。意識がぐらりぐらりと揺れる。私はまさしく寝入ったところだったようで、眠りという深度から、起きるという高さまで脳が上下するのか、しばらく何もかもがぐらぐらと揺れるのを味わう。どうにか鎮まった揺れを枕の横に置き階下へ降りると、父はベッドに腰掛けて、名古屋から四日市がどうとか、萬古焼の説明を受けたとか、ここは河原町か、とか言っている。ここはあなたの家ですよ、もう深夜ですから寝ましょう話は明日聞きますねと布団を被せ、ようよう階段を昇った。そのあとしばらくは眠れない。

二度寝するとそのあと必ず夢を見る、とあの人は言っていたけれど確かにそうかも知れない。あるいは一度めの睡眠中の夢は忘れてしまい、浅き二度目のそれが目覚めてなお脳内に残るだけなのか。
夢に出てくる建物は大抵複雑な造りをしている。といってもデコラティブな訳ではない。壁も手摺りも階段もバルコニーも、いたって直線的で装飾は無い。育ったマンションや通っていた大学や、アジアの小国らしい近現代建築が反映している。不思議なのは現実では訪れたことのない建物が、夢には複数回登場することだ。ああまたここだなと思っているのかいないのか、夢の中では何の疑問も持たずにその場所を生きる。

街に生まれ、育った。夢の中でも大自然のただ中という舞台設定は稀で、海辺にいても必ずどこかに人工的な建造物がある。この年になれば誰もが、自分の中にある光や建築や都市計画の真相を知りたいと願うだろう。私とは何で、どこから来てどこへ行くのか、と。目覚めた後、脳内に残る夢の中にその答えを探す。


深夜の父は、笑顔だった。郷里にあって心が放たれたのか、懐かしい人との邂逅があったか。やさしくない娘に呼びかけ、何を共有せんとしたか。それもまた眠りに溶けていく。おやすみ、もうしばらく、よい夢を。




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