見出し画像

ほんの少し、世界を広げたい

昨年始めて良かったもの。それは、何と言ってもこのnoteだ。


昨年、私は、この狭いリビングで赤ちゃんと過ごしていた。
働いていたときと比べて、世界は急激に狭くなった。夫と、この子と、私。居場所はこのリビング。
作っては片付ける。汚れては綺麗に。それを繰り返すだけであっという間に夜になった。

赤ちゃんとの時間は、温かくて幸せだけれど、孤独でもあった。
自分が少しずつ「お母さん」以外の何者でもなくなっていくような気がした。
この子を無事に産み、元気に育てていくこと。この子にとって、安全な場所を確保すること。それこそが自分に課せられた任務で、他には何もできないような気がした。

育児に家事。「忙しい」ほどの量ではなかったのに、夜になれば疲れ果てた。でも、体と違って頭は疲れていないから、いろいろ考えてしまう。
四つん這いになって床を拭きながら、洗面所で服の染みを擦りながら、頭では別のことを考える。現状を変えたかった。
『何かしなければ』という焦燥感は常にありながら、結局、何もできず1日が終わった。

『何かしなければ』の『何か』をずっと探して、見つけたいと願った。けれど、思いつくたび「それをやってどうなるの?」と自分に問いかけて、また振り出しに戻った。
かけられる時間と労力は有限だから、そうやって取捨選択することも間違ってはいないだろう。でも、この問いかけに縛られて、何ひとつ始められないまま、がんじがらめになった。


noteを始めてみようと決めたのは、そんな頃。

子供の頃から、いつの日か「書く仕事」をしたかった。
そして、何かを書きたいのなら、noteは自分に合っているんじゃないかな?と思ったのだ。

noteを書いて、それでどうなるの?仕事に繋がるの?という問いかけは、無視することにした。「ただやりたいからやる」たまにはそれもいいじゃない。


始めてみたら、書きたいことはたくさんあった。想いを吐き出すのは楽しかった。
赤ちゃんではない誰かと話す時間も心地よかった。
我が子との日常の一コマについて書くときも、自分の言葉で綴ったら、ほんの少し「お母さん」以外の私を取り戻せた気がした。世界が少し広がった。それはわずかかもしれないけど、必要なものだったと思う。
“スキ”を貰えると嬉しくて、noteのウェルカムな温かい雰囲気も好きだった。

書かない日が数日続くと、書きたくてウズウズした。
久しぶりにワクワクするような感情を味わえたのだから、やっぱりnoteを始めてよかったのだと思えた。

だから今年も、noteを書き続けたい。
書きたいウズウズが胸に充満していくのは嬉しい。このウズウズが爆発してしまわないように、今年はもっとたくさん書きたいと思っている。


そして、今年はもうひとつ、新しく始めてみたいことがある。
それは英語。
英語を勉強し直したい気持ちはずっとありつつ、でも、「勉強してどうしたいの?」という問いかけに答えが出せずに、二の足を踏んでいた。
でも、「英語に苦手意識のあるまま人生を終えたくない」という程度のモチベーションでもいいのではないかと思えたのだ。

それはきっと、柔軟に考えて始めてみたnoteがとても良かったからこそだと思う。


そして、noteも英語もと欲張る分、今年は「朝活」や「夜活」も始めたいと思っている。ここ数日、何度か早起きをして英単語帳を広げてみたけれど、案外、楽しかったりする。やっと始められたという安心感のようなものも感じている。
こんなに簡単に踏み出せるのに、どうして今までやろうとしなかったのだろう?と不思議に思う。

「それをやってどうなるの?」と踏み出せずにいるものが、深層心理ではやりたいものだったりするのかもしれない。だとしたら、それを見極めるためにも、とりあえず勢いで始めてみてから考えてもいいように思う。

私の英語も、今後、「やっぱり英語は不得意なままでいいや」と思い直す可能性もあるけれど、それはそれで、そう気付けたことが成果なのだろう。


というわけで、今年もnoteを更新していきたいと思いますので、よろしくお願いします。





最後まで読んでいただき、ありがとうございます。