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「社会人」になれなくても、そんなにがっかりしなくていい理由

社会人としての心得

社会人として身に付けるべきマナー

新社会人になるあなたへ—

「社会人」という言葉は、私たちの日常でふつうに使われる。経産省が作った、「社会人基礎力」なんて言葉もある。

でもよく考えてみると「社会人」とは不思議な言葉だ。いくつだろうと何をしていようと、みんなが社会の一員であるはずだ。

なのに「社会人」として認められる人と、認められない人がいるのである。

もちろんこうやって思い返せば、「誰もがみんな社会人」という言い方もできるだろう。

でも現実は違う。

「社会人」という言葉が存在するそのことが、この社会に「社会人でない人たち」がいることを明確に示している。

社会人と聞いてぱっと思いつく言葉を出してください

ある講義でこんな質問をしてみたことがある。すると学生から次のような言葉が返ってきた。

<属性に関するもの>
大人
成人
サラリーマン
中間管理職
収入がある人

<格好・持ち物に関するもの>
スーツ
パンプス
印鑑

<人間性に関するもの>
責任
自立
節度
協調性
礼儀
意思決定できる

<やること>
花見の席取り
ローン返済
会議に出席
残業

私はこの質問を、いろいろな幅広い世代の学生や院生に投げかけるのだが、だいたい答えはこの辺りの言葉に集まる。

これは当たり前のようにみえるかもしれない。

でもよくみると非常に面白い。

なぜなら社会人は、責任があって自立していて、協調性があって、礼儀正しく、意思決定ができる、という、この社会で「素晴らしい」と言われる人間性を兼ね備えているという考えが垣間見られるからだ。

そしてそんな「社会人」は、長靴を履いて農業をしていたり、赤ちゃんを抱きながら洗濯物を干したりはしていないのである。

実際この質問をして、畑とか、コンバインとか、赤ちゃんとか、子育てという言葉が出てきたことはない。

私達がぱっと思いつく「社会人」とは、スーツを着て、給与をもらい、新人なら花見の席取りをし、しばらくたったらローンを返す、サラリーマン—もっと今風にいうとビジネスパーソンーなのである。

だから「社会人」という言葉を聞いて、下記のような生き方を思いつく人はいないだろう。

写真は、読んでいた雑誌でたまたま特集されていたマネキン職人の山内さんである。(知り合いではない。)

もちろん山内さんも、「社会人とはどういう人だろう?」と改めて振り返れば、社会人認定されるはずだ。でも一般的な「社会人」のイメージには入らない。

「社会人」は社会の中の意外と狭い範囲の人々しか指していないのである。

「社会人」になれなくてもそんなにがっかりしなくていい

春が近づいてくると、悲壮感を漂わせる就活生に出会う。

内定がでない。

なぜそのことが、かれらをそこまで落とし込んでしまうのか。

でもこれは「社会人」の意味を考えればよくわかる。

社会人とは、単に企業に就職し、月給をもらって働く人のことを指すのではない。

責任があって自立していて、協調性があって、礼儀正しく、意思決定ができる人間性を持っているのが「社会人」なのである。

そうであるならば、「社会人」でない人は、暗にこのような人間性を欠いていることを意味してしまう。

「社会人」は属性を超えた、ある秀でた人間性のことを指している。そしてこれは奇妙な話だが、「ビジネスパーソン」という属性を手に入れると、その人間性までもがセットでついてくる。そんな不思議な言葉が社会人なのである。

きっとこう書けば、「そんなことはない」とみんなが口を揃えていうだろう。

でも繰り返すが、「社会人」と聞いて、ぱっと出てくる言葉がどんな言葉かを思い出してほしい。「社会人」はそういう排他的な意味合いをいやおうなく含んでいる。

だからこそ内定が決まらないと落ち込む。

自分の人間性に何か欠けたところがあるのではないか。

内定が出たあいつは、内定が出たあの子は、自分より人間性が秀でているんだ。

そう思ってしまうのは無理がない。だって「社会人」とはそういう言葉なのだから。

でももしそう思ったら、一呼吸おいてみてほしい。(そして晴れて内定をとった人は、あるいは社会人の自覚がある人は、「社会人」の指すところをいま一度考えてみてほしい。)

社会にはたくさんの生き方がある。たくさんの仕事—それが直接お金に結びつくものも、そうでないものも—がある。サラリーマンに当てはまらない職業だって山のようにある。「社会人」は思った以上に狭い範囲の人しか含んでいない。

だからその狭い範囲に自分が入らなくてもびっくりすることなんてないし、自分の人間性を否定することなんてない。

ドイツには社会人という言葉はない

「エスノグラフィー入門」という、初学者にほんとうにおすすめの素晴らしい本を書いていて、ドイツをフィールドに調査をした、小田博さんという文化人類学者がいる。

小田さんによると、ドイツには「社会人」にあたる言葉がない。

もし「社会人」という言葉を使おうと思ったら、それが何なのかを事細かに言葉で説明しないといけなくなるということだ。

これは私が留学をしていたアメリカもそうだと思う。

働いている人を指す言葉としては"employee"があるけど、これは「社会人」と同じ意味ではないし、"social person"では間違いなく通じない、というか全然違う意味になる。

「社会人」という、私たちの世界のありふれた言葉は、実は限られた時代の、限られた世界の価値観により作られた言葉だということが、海外の事例からもわかるだろう。

文化人類学ではこういう作業を「相対化」と呼ぶんだけど、相対化は、私たちをありふれた価値の囚われから解放してくれる。

社会の価値観を表すような、そういう「一言」を見つけられると、世界の見え方がぐっと面白くなることがある。

今回の「社会人」はその応用です。

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