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お帰り

お帰り 小さな牝鹿
わたしは寒い森
迷いの小径をたくさんに抱えて
おまえの目路の果てにさすらう幻の森

お帰り 小さな牝鹿
おまえの夢が描く牡鹿の角は
わたしの森の裸木たち
年ごとに増えていく悲しみの塚

わたしが輝いて見えたのは
冬の太陽のいたずら
おまえの浅い眠りの束の間に
春のさきぶれのしかけた罠

お帰り 小さな牝鹿
この道はおまえのしなやかな足には
とても耐えられない石ころばかりの道
おまえの血の花を咲かすにはもっと若い森がある

お帰り 小さな牝鹿
おまえを抱いているのは
西陽に傾いた長い淡いわたしの森の影
おまえを包みはじめるのは冷たい冬の夜

お帰り 小さな牝鹿 わたしは動く森
立ち止まるとわたしの樹々は次々と枯れてゆくのだ
お帰り 小さな牝鹿
ここにはおまえを石に変える妖婆も棲んでいる

        詩集『降る星の歌』(1964年*扉の会)
        詩集『海がわたしをつつむ時』(1971年*鳳鳴出版)
        『礒永秀雄選集』(1977年*長周新聞社)

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