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「キッチン」(吉本ばなな 著)再読

定期的に読み返したくなる本があります。例えば、フランクルの「夜と霧」、戸部良一らの「失敗の本質」、村上春樹の「蜂蜜パイ」とか。そんな中で吉本ばななさんの名作「キッチン」は、何か最近いろいろとうまくいってない気がするな・・・という時に読みたくなる本です。

1988年に出版されたときには、その文体の新しさが大きな反響を読んだことが様々な記事から読み取れるのですが、当時私はまだ子どもでしたのでリアルタイムの評判に触れられなかったのが残念です。そんな「キッチン」も、今読むとむしろ50代くらいの女性が使いそうな言い回しが多く、また違った味わいを感じることができます。

その一方で、36年という時間を超えて、いやむしろそうした時間を経ているからこそ直接訴えかけてくる言葉も、本当にたくさんあります。

彼女たちは幸せを生きている。どんなに学んでもその幸せの域を出ないように教育されている。たぶん、あたたかな両親に。そして本当に楽しいことを、知りはしない。
・・・
闇の中、切り立った崖っぷちをじりじりと歩き、国道に出てほっと息をつく。もうたくさんだと思いながら見上げる月明かりの、心にしみ入るような美しさを、私は知っている。

キッチン(吉本ばなな)

出口の見えないような暗闇のなかにいる時って、みかげのように自分の人生を嫌悪したり、すべてを後悔したりすることもありますよね。でも彼らがぼろぼろになりながらも何とか折り合いをつけようともがいているのを読むと、不思議とそうした困難が、自分の人生を意味あるものにするために必要な過程と思えてくるのです。

この小説の主要人物たちに一人としてカッコいい人はいないのですが、それでも皆すごい「強さ」を持っているように感じます。<自分の気持ちの面倒は自分でみる>ことが当たり前のこととして身についている。なんだろう、感じやすく傷つきやすい心とかも含めて自分の人生として引き受けているあの感じ。

料理教室の場面で、育ちの良さそうな女の子が二人出てくるのですが、その描写にもはっとさせられます。

ひかえめで、親切で、がまんがきく。料理界には少なくない良家の娘さんタイプの中でも、この人たちの輝きは本物だった。

キッチン(吉本ばなな)

「がんばらなくていいよ」「無理しなくていいよ」という言葉が蔓延する世界だからこそ、「がまんがきく」ことの価値は本当に貴重だと、私は思います。吉本ばななさん自身もあとがきで、「甘えをなくし、傲慢さを自覚して、冷静さを身につけた方がいい」と書かれていますね。おそらく彼女自身の人生から得られた結晶のような処世訓なのかなと思いました。

こういう内的な強さって、今の時代となっては誰も求めてはこないけど、やはり人間には普遍的に必要なものなのかもしれません。その強さは、生きにくい世界をなんとか生き延びていくための強さだから。この小説の登場人物たちが持つしなやかな美しさが、その動かぬ証拠のような気がしてくるのです。



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