見出し画像

弱さもあなたらしさ。弱さを大切に。

こんばんは。磯貝です。

3投稿目。今日は、最近学生さんと面談していて思うことについて書こうと思います。不安が増大し、見せかけの強さを求めてしまう人たちを多くみています。弱さも自分らしさだということを僕の経験と合わせて伝えていきたいと思います。少しでも誰かの勇気になればと思います。


弱さを隠すと、自分を見失う。

だれしも人から良く思われたいと思う。これは当たり前な欲求だと思う。ただ、何かしらの自分の無力さと直面したときにそれを隠し始めると一気に生きることは味気なく、苦しくなっていく。

人から良く思われるたために、無力な等身大の自分を隠すようになり始める。そうなると自分の本心に従うより、人からどう思われるかが重視されていき、気づけば「だれかの人生」を歩まされている状況になる。

そしてふと自分を見つめたときに自分という存在の中身がないことに気づいてしまう。等身大の自分がすべてが弱さであるように映り、等身大の自分を出すことが怖くなる。そして、自分の弱さとひっそり孤独に向き合わなければいけないと思い込んでいくことになっていく。

きっと世界は敵だらけに映るだろう。
本当の自分を知られる怖さ、人をがっかりさせてしまう怖さを抱き、他者を判断基準にすることでしか身動きを取れなくなる中で、自分の心の本音が、願いが聞こえなくなっていく。

以前記事で書いたが、自分は、八方美人に生きてきた。まさに弱さを隠して生きていた。

詳しくは上記記事に書いてあるので割愛するが、
「人の期待を裏切ったら嫌われる。」ということばかりを考えて生きていた。だからこそ自分が負ける、期待を裏切るリスクがある勝負をしなかった。自分の弱さは自分ばかりを守り、勝負をしないことだった。

だが、高校の部活の仲間と顧問は、「自分を晒し、勝負を挑むこと」を求め続けた。僕には彼らが敵に見えていた。痛くてたまらない日々の中で、どうして彼らはこんなに頑張っている自分を責めるのだろうかと恨みすらしていた。

でも最後の最後の大会で、自分だけが組織の理想に向き合っていないことに気づく。仲間を愛し、勝ちたいという当たり前に思える自分の願いに気づけた。そして、やっと自分の願いと彼らへの恩のためにリスクを背負う覚悟を持ち勝負をすることができた。

そんな経験を通して僕は、
弱いからこそ強くなりたいという願いが生まれる。
弱さを受け止めるからこそ、人に支えられていることへの感謝が生まれる。
弱さを受け止めるからこそ、感謝と未来への願いを込めて勇気ある自分の人生の一歩が生まれる。
のではないかと考えている。


弱さがあるからこそ、人とつながる。

弱さを隠すと自分を見失うといわれても、それでも弱さと向き合う勇気はそう簡単には湧かない。

高校を経て変わろうと思った僕は、大学で学祭や留学支援の代表をしていた。組織を背負い、高校の時のあの誰かとともにつながる温かい瞬間を夢見て頑張ることを決めていた。

しかし、一人で抱え戦ってばかりいた。自分が強くないとあの瞬間は訪れない。強くあらねばならない。あるべきを追い続けていた。

気づけば、ビジョンもなく目の前のあるべきだけに終始し、自分だけでなく仲間にもあるべきを課して、組織を崩壊させていた。

そして、高校と同じく
「なんでこんなに頑張っているのに、誰もわかってくれないんだ」
と被害者に成り下がっていた。ただ堪えて走り切った。
気づけば周囲から期待されすごいねと言われる存在になっていた。

だからこそ就職活動も話せるエピソードはいくつもあった。上辺で自分の本音なんかそっちのけで将来の不安を押しのけ、自分の過去を美化して自分を取り繕っていた。

ただ、そんな嘘つきな自分を一蹴してくれる人たちがいてくれた。
「意思なく生きて、無駄な人生を送っている。」
「未来に意思も持たず、命を無駄遣いしている」
キャリアアドバイザーとブラジルの友人からそれぞれ言われた言葉だった。痛烈で、到底受け入れたくない言葉だった。


でも不思議と救われた気持ちもあった。誰かの期待に応えようと自分の虚像を作っている僕の中にいる大切にできていない等身大の自分に気づいてもらえたそんな感覚。

自分が認められない弱い自分の存在を見つけてくれたこと、そんな自分を知ってもなお、自分から離れず期待をかけ、信じてくれることに僕は本当に救われた。

弱さが理由で人は離れていくのではないのかもしれない。
誰かと深くつながるのは弱さがあるからかもしれない。

そんなことを思わせてもらえた。


弱さで誰かを救える。そして、自分が救われる。

そんなことがあったころから多くの自分の弱さを隠して、強く見せようと躍起になっている人の姿が多く目に入るようになった。

「自分だけでないのかもしれない。彼らも同じなのかもしれない。」

自分が同じ弱さを持っているからこそ、
「弱い自分を隠さなければ。」と思いながら、誰かとつながり続けるために自分を偽って、強がって生きてしまうことが分かる。

でも弱さから自分も目を背けるなかで、自分のことしか考えられなくなり、誰も自分を助けてくれないと孤独な被害者になることを僕は知っている。

僕は弱い自分を見つけてくれた人に、救われた経験がある。
僕は弱さを受け止め、変化する一歩を踏み出した経験がある。

だからこそ人の弱さを受け止め、その人なりの幸せになるための理想の生き方を考えよう。人はそう簡単に変われないからこそ、強く長く影響を与えられるような人になろう。

そして、自分を強く見せて自分を守るために働こうとする人たちに、弱さを大切にして自分と誰かのために理想と戦う自分らしい人を増やしたいと思い、キャリアアドバイザーという仕事を選んだ。

そして、今自分は多くの学生さんに救われている。
自分を隠して生きてきた弱い人生があるからこそ、彼らの力になれていることが僕を救ってくれている。


弱さの先にある誰かのために生きる勇気を。

弱さを受け止めるには勇気がいる。
ただ、受け止め世界に目を向けてみると、自分だけでないことに気づく。
そして、誰かの弱さを救うための一歩を踏み出す勇気を持ってほしい。
弱さで誰かを救うことで、そして自分自身が救われるから。

あなたの弱さは、あなただけのものではない。
その数だけあなたの弱さを活かせる機会が世の中にある。
そして、誰かを救った先に自分の弱さを自分らしさとして愛せる未来がある。

だから、自分の弱さを隠して、自分を守るために生きてほしくない。
それは自分を見失い孤独になってしまう生き方だから。

弱い自分と向き合うのはつらいことだ。
その自分を人に見せるのは勇気のいることだと思う。

でも、僕は、
自分の弱さに胸張って生き、弱さで誰かを助け、
その中で本当の強さを身に着けてほしい。
自分の弱さを受け止めた先に見える誰かの幸せを願って、
誰かとともに自分を幸せにするために生きてほしい

と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?