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精神的な気づき ~統合へ~

子育てもほぼ終わったようなものだし、さぁ、これから自分の人生を謳歌するぞ!と息巻いていた矢先のことでした。

昨年、親のびっくりする病名を聞いて、そこから重たい気分をずっと引きずって生きてきました。

わたしには幸せの持論があるのでどん底にこそなりませんでしたが、なぜ?よりによって?など答えの出ない思いを手放せずにいました。

病状は安定せず、不安な日々は今も続いています。

病状の変化に伴いわたしの感情も波立ちましたが、同時に気づきや学びもありました。

まず、親の価値観に縛られていたことはわかっていましたが、どれほど精神的に依存していたのかということです。やはり随分と精神的に頼っていました。

また、今までくすぶっていた身内に対する思いにも向き合わなければなりませんでした。家族間での固定化された人間関係からわたしは自分を解放させたいと思いました。

自分軸で生きなければ、また飲み込まれてしまう。

わたしは自分より他者を優先させてしまうところがありましたから、この状況でわたしを身内の思い通りに支配させてはならないと、幾分防御しながら接しなければなりませんでした。(かなり被害者意識^^;)

そのくせ親のことが心配で、いつもわたしが何とかしなければと先回りした考えで行動してしまうのでした。今回はそれをやめようと何度も自分に言い聞かせました。

わたしがやらなくても彼らが何とかする。そうだ、わたしは彼らを信頼しなくちゃいけないんだ。わたしは今まで身内を信頼していなかったんだな。
だから、他者の意向を汲んでまでして自分から動いていた。それによってどんなに自分を犠牲にしてしまっていたことか…。

わたしは他者を信頼するということを学びました。他者が考えて動く前に、よかれと思ってわたしが動いていたのですが、そこまでする必要はなかった、それは他者がやるべきことを奪っていたということに気づいたのです。

わたしは、誰かの価値観を優先するのではなく、自分の本心に基づいて他者と関わり行動するということを学びました。

・・・

現在の状態からは覚悟が決まりました。もう親は意識の上で精神的な支えではなくなりました。むしろこっちが保護者みたいなものです。

覚悟がついたからなのか、この深刻な状況にあって第三者的な目線の自分に気がついたのです。その時、「あ、この感覚なら随分楽だな。」と思いました。

第三者的な目線とは、ちょっと引いて見ている感覚。

それに伴って、今回は大きな気づきを得ました。

それは、自分の世界をフラットに見ていくことです。

よくネガティブなことにフォーカスしないでポジティブシンキングしましょうと言われますが、こんな状況でポジティブ思考になるのは無理だったりするものです。

つらいのだから仕方がない。家族が大変なときは、わたしも同様につらさの中に居続けなければならないとずっとどこかで思っていました。

でも、別のものごとに対しては明るい気持ちになったりもするのです。

ネガティブな感情は出てくるのだから仕方がないし、否定せずに感じたらいい。同時に別なことにはポジティブな感情だって感じている。

大事なことは、その両方を同じぐらいの熱量で感じることなんです。

親が病気でつらいという気持ちと、例えば、入ったお店で気に入った商品がお値打ち価格で購入できたという喜びが同じ価値として感じられること。(実体験で何だか恥ずかしい。)

起きた出来事に対する自分の感情がネガティブであってもポジティブであっても、またそれが心の中にいくつあっても、それぞれを同じ大きさとして受け取ることがポイントなのです。

そうすると、とても大きな悲しみであっても、そのつらいことだけに囚われなくなるということに気づきました。

ネガティブな出来事(感情)だけを突出して受け取らない。それだけを大きなこととして解釈しない。他に小さな喜びがあったとしたら、つらいと感じた熱量と同じぐらいにその喜びを感じるのです。

それは、ものごとに対する感じ方を凸凹を作らずにフラットにしていくことです。今回は特にそれを体感できました。

自分の世界にはネガティブなこともポジティブなことも両方当たり前のように存在している。それが現実。だからこそ、ネガティブなことをことさら重要視しないことが大事だと思ったのです。(もちろん、最優先しなければならないときはあります。)

「良いも悪いも存在するけど、それを丸っとバランスよく受け止めて生きていけばいいのね。もしかして、これが統合というものなの?!」なんて思ったのですが、どうでしょうか。

今回の気づきをこれからの人生にも持ち続けて、少々のことで滅入ってしまうような軟な(繊細すぎる?)性格から脱皮した大人へと変貌するつもりです。

当たり前のように人生を前向きに生きている素敵な大人になれるように。

そういう意味で、寂しいけれど気づかせてくれたこの大きな人生の節目に感謝しています。


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