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幸せについての持論

今幸せかどうか、自分に確認することがあります。

わたしには悩み事や心配事があって、そこをクローズアップすればいろいろ思うことはあるのですが、やはり総じて幸せだなと感じています。

それはなぜか。コツがあるのです。それは感謝すること。感謝するとその瞬間幸福感に満たされるのです。

これによって、奈落の底に突き落とされるような不幸は感じなくなりました。(回避している)

感謝と幸せはセットになっています。だから幸せを感じたければ感謝するのです。

なので、今幸せかどうかを自分に確認するということは、感謝できているかどうかを確認していることになります。

・・・

以前、幸せって何だろうと考えたことがあります。

自分の願いが叶うことかな、と思っていたのですが、そういう訳じゃなかった。

例えば、希望の大学に合格したとき幸せになりますよね。でも、その幸せってそんなに長くは続かなかったりします。時間が経てば(早ければ数時間のうちに)それが当たり前になってしまって別に何とも思わなくなる。

希望が叶う。どちらかというとそれは喜びなのでしょう。喜びと幸せを混同してしまうから幸せが続かないと思ってしまう。

喜び事ってそんなに連続して起こりませんよね。喜び事があってうれしい、幸せとなっても、それが一旦落ち着くといつもの自分のテンションに戻ってきます。それが普通です。

それは、喜びという感情が落ち着いただけであって、幸せじゃないわけではない。

では幸せって何?

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わたしは昔から、一人になる時間を必要とするタイプです。
あの時もそうでした。一人になって内観していました。(癒しの時間です。)

そのとき、何だか無性に感謝の気持ちが湧いてきて、嗚咽してしまったのです。

不思議でした。何にも嬉しいことがないのに、むしろ嫌なことが日常的にあったのに、涙がでるほど感謝の気持ちが湧いてきたのです。
それは衣食住にとどまらず、人間関係やこれまでの人生における出来事などいろんなこと全てをひっくるめての感謝でした。

驚きましたが、一人だったのでその感情を味わい尽くしました。とても幸せでした。

そのときに気づいたのです。あぁ、幸せって、何か願いが叶ったから感じるわけじゃないんだなと。幸せを「感じられる」こと、それ自体が「幸せ」なんだなと。

何か問答のようなことですが、幸せというものは本当はすでにあるとして、「幸せとはそれを感じられるかどうか」なのだと思ったのです。

本当は生きているだけで幸せなのだと思います。水が飲める。食うに困らない生活ができる。体が動く。他にも各々が「今すでにある幸せ」を持っているはずです。

ただ人はそれを当たり前だと思ったり、欲求が高すぎて自分の願いが叶っていないことに焦りや不満を感じるから、すでにある幸せを「感じること」ができないのです。(幸せを感じられない人の場合)

自分が持っているすでにある幸せに気づくと自然と感謝の気持ちが湧いてきます。

わたしの先ほどの体験では、感謝の気持ちが先に湧いてきて幸せを感じたのですが、恐らく内観中に、無意識に「すでにある幸せ」を感じていたのでしょう。

そういう訳で、この種類の幸せが感謝とセットになっていることに気づいたのです。

今すでにある幸せに気づく → 感謝する → 幸せを感じる → ご機嫌になる/穏やかでいられる

わたし自身、いつもご機嫌でいるわけではありませんが、だいたいの場合は穏やかです。

何か気持ちが乗らないなと思ったら、身の回りのどんなに小さなことでもいいから「今すでにある幸せ」を見つけて感謝することにしています。

そうすると条件反射のようにその感謝量に応じた幸せ感が得られます。

感情が波立ったときや心を整えたいとき、前向きになりたいときは、特に意識してこのからくりを使っています。

このからくりを知っておけば、いつでも幸せを感じられるので安心です。

幸せはいつもそばにあるのに、あって当たり前だと思うと途端に幸せを感じられなくなるもの。

幸せと感謝はセット♪

以上が、わたしの幸せについての持論です。


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