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さわやかドラマ「無脳シリーズ」第10話〜夏の表紙〜

3秒で書いて3秒で読めると話題の無脳シリーズ。今回は、昔の恋が忘れられない女の子が図書館に行く話です。



  アミはよく、街の高台にある図書館に向かう。住宅街から坂を上がると、中くらいの公園があって、カラフルな丸いジャングルジムから、子供たちの声が聞こえる。アミは、上水沿いの小道を選んで、正解だったな。と、はにかんだ。もう少し行くと、狭い並木道。若草色の葉っぱから、木漏れ日が降り注ぐ。アミはこの道がとても好きだった。
  その道は、はじめて好きになった人と、一緒に歩いた道だった。あの時は、ずっとあの人と、一緒に歩いて生きていくんだって、思っていた。ずっとあの人の隣で、背の高い彼の肩を見て、笑っているんだって、思っていた。


  図書館に着くと、フロントの空気の冷たさが気持ちよくて、身体が一気に軽くなったような気がした。いつもは芸術系のコーナーに向かうが、今日は、小説のコーナーに向かった。本の香りがする、入り組んだ迷路の途中で立ち止まって、きのこの図鑑に気を取られる。そういえば、彼はきのこが食べられなかった。初めてうちへ招待した時、ハンバーグと、きのこの入った野菜スープを作ったんだっけ。おいしい?とアミが聞くと、おいしい。と、彼は笑った。懐かしいな。アミは少しセンチメンタルに、首を傾げた。あの時無理して食べてくれたスープは、今でも彼の身体の一部に、なっているのかしら。
  手紙は彼に宛てて書く。でも、アミは文章がへたっぴだから、小説家から学ぼうと思ってやってきた。『拝啓、皆本正樹様。お元気ですか。今はどんな絵を、描いていますか。』そこから何も書けなくなる。思い出話なんて、書いても自己満かなぁ、とか、そうだ、便箋にレモンの香水を振ろう、とか、そんなことばかり考えてしまい、肝心の中身がわからない。
  小説コーナーの、適当に目に止まった表紙のピンク色がかわいい文庫本を手にとると、彼と図書館へ行った時のことを思い出した。「運命の出会いみたいなやつでさ、よく本を同時に取ってしまうやつ、あるじゃん。あれやろうよ。」アミがそう言うと、「もう付き合ってんのにおかしいでしょ。」と小声で笑いながら、二人でひとつの本を手に取った。小指が触れた瞬間、何故だか急に恥ずかしくなって、私も彼も、ドラマと同じように手を引っ込めたんだっけ。あのあと、併設されているカフェで、ソフトクリームを食べたんだ。アミはまた、感傷的になる。今はひとりで、本を手に取る。


  すっかり日が暮れはじめ、図書館を出るときには、街はオレンジ色だった。結局、手紙は出さないことに決めた。私は、あの日々をもう一度彼と、共有したかっただけだったと、気づいた。いつまでも、思い出に浸っていては、夜は明けない。せっかく買ったお洒落な便箋は、地元の友達にでも送ろう。レモンの香水を振って。図書館から街を見ると、夕日のオレンジが街を染め上げていって、それは波が浜辺を濡らすようなやり方で、子供たちの声も、もう聞こえなかった。

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