memberコラージュ2

アルカシルカの話



過去の日記ばかり掘り起こすのも芸がないので、ここで僕がやっているバンド「アルカシルカ」についての話をいくつかしようと思って書き始めたら随分と乱文になってしまったので時間があるときにでも読んでもらえたら。

この数ヶ月僕はずっと仕事も投げ出してアルバムの事だけをやっていた。そして、2019年4月24日に晴れてリリースとなったのだが、それまでがえらく大変なものだったので、今回はそのアルバム「不条理不協和音」について振り返りたいと思う。

そもそも、なにが大変だったかと言うと、全40トラックという数の暴力に他ならない。当然の話になるが、曲数が増えれば増えた分、レコーディングもミックスも、歌詞カードの曲解説やレイアウト、構成、確認作業など全てにおいて、時間と労力が倍増する。これは、本当に自分で自分を殴り続けるような日々だったが、今回語るのはそんな日々の話ではなく、自分からあえて語るのも野暮だと思って、わざわざ言ってない事が沢山あったので、その内のいくつかだけ話をしようと思う。
ちなみに、今作は音源の無料ダウンロードや、各種音楽サービスでの配信もしているので、もしよければ聴いて頂ければとてもありがたい。

Apple music

Spotify

Bandcamp(こっちは投げ銭形式になっているので、0円と入力すれば無料ダウンロード可能。)

それと、まだ本題にも入る前から、話が逸れてしまうのだが、僕は一年ほど前、業務委託で東京のゲーム会社の映像編集担当として、ゲーム内オープンニング動画やCMの制作を行なっていた。その際に会社の人たちと会話をしていると、無料のスマートフォンアプリゲームに毎月何万円も課金をしている人が当たり前にいて、そのとき感じた話をさせて欲しい。

僕は高校生くらいまではゲームっ子だったので、ゲームの楽しさは人並みには分かるのだけど、20代に入ってからはゲームにお金を使うことはなくなっていた。
なので、ゲームソフトの購入では無く、ゲーム内のアイテムを手に入れるためにそこまでのお金を使うということに時代の変化を感じて驚いた。「いくらお金を払っても結局データのコレクションにしかならないのに」と無粋極まりない事を思ったりもしたが、ただ、その一方で、とある希望めいた感情も湧いた。

あらゆるものが電子化されていってるこの現代において、いくらアナログ回帰を叫んでも、時代は待ってくれないし、この流れを止めることは難しい。

現金はクレジットカードや電子マネー等へ。
音楽はどんどんとmp3やデータ配信などへ。
本は電子書籍、映画もストリーミング配信が主流になってきた。
それらにいくらお金を払っても、自分のCD棚や本棚が埋まるわけでもないので、人によっては虚しく感じるかもしれない。

そりゃ、本やCDをめくりながら歌詞やストーリーを追うあの感覚はある種の体験めいた感動があるし、気軽にオススメのマンガや音楽の貸し借りができるのもとても貴重なもので、それらがデータ上だけでの所持になるのはどうも乙ではない気がする。

だから、紙の本が売れなくなるのもCDが売れなくなっているのも、それらを嘆くのは僕もとても同意する。

でも、ある意味で、この流れは一種の物質主義的な価値観が裏返る可能性を秘めているとは言えないだろうか。

形ないものにお金を出すことが当たり前になるという事は、実体に囚われず、目に見えないものへの価値を見い出せるようになってきているとも言え、それはつまり人の心や優しさにも目を向けやすい土壌が出来てきているのではないかと…。

だなんて、ゲームへの課金の話程度で、そんな希望的観測を抱くなんてあまりに楽観的だと笑われそうだが、僕はそう感じてしまったのだからしょうがないのだ。

結局のところ何が言いたいかと言うと、僕はとても古いアナログなものが好きな一方で、最新のテクノロジーなんてのもたまらなく好きで、それは相反するものだけど、どちらにもそれぞれの魅力や可能性、ロマンを感じると言う話だ。
きっと僕は、新しい物好きの懐古主義者なのだろう。

なので、アルバム製作当初から決めていた事ではあるが、今回のアルバムはどっちの要素も取り入れたものを作った。
デジタルでは再現できない物質としての良さを最大限に詰め込んだ“CD(+BOOK)版”と、地域や金銭的事情を問わずに「どれだけ売れるかより、どれだけの人に聴いてもらえるか」という意思を最大限に反映できる“データ版”である。

と、データ版は月額配信、無料ダウンロードでも聴けるのだが、明らかに2700円出してでも手に入れた方が良い内容のCDになったと思っているし、以下の話は現物を持ってない人には退屈かもしれない。


アルバムジャケットについて

まずは、表紙についてなのだが、たまに「これはどこの街の風景なの?」と尋ねられるが、このような街はそもそも存在しない。
僕らがこれまで行った国で撮った写真を集めてコラージュして作った架空の街で、中央の時計塔も複数の建物のパーツをつなぎ合わせており、つぎはぎだらけの時計塔になっている。
また、気付く人だけが気付けば良い程度の隠し要素を随所に散りばめている。さらに、それに加え、アルバムのコンセプトを表現するためにミリ単位で計算して作った仕掛けがあったのだが、製本時のミスにより狙っていた作りにならず、本が届いた際に僕は膝から崩れ落ちそうになったし、アコーディオンのマリは泣いた。
おそらく第2版を増刷する可能性があるので、その際には完璧な製本にしたいと思っている。

ちなみに泣くほど重要だったそのジャケットの仕掛けというのは、実は一人では気付きにくい作りになっているのだが、データ版の正方形ジャケットでは、街の全景が確認できるので、一人でもデザイン意図が見つけやすい。

(上の画像がデータ版ジャケット画像)


扉絵について

これも音源や漫画の流れを表現するために考え込んで作ったデザインの時計。アルバムコンセプトに沿った重要なモチーフなのだが、それはさておき、この絵は僕が丸2日かけて手描きで描いたものなのに、あまりにも誰にも触れられないのが寂しいので、ちょっとくらいは褒められても良いんじゃないかとは思っている。


漫画について

僕は何かしら意見が二極化する難しい問題や物事を考えるとき、「自分と反対の意見を肯定してみる」という脳内作業を行うのだが、いくつかどうしても肯定できない問題がある。
その中でも絶対的に肯定できないのが"戦争"だった。

祖母が戦争によって利き腕を失っている事もあるせいか、いくら考えてみても“国家間”とか“地球”とかと言った広い規模の視点で考える事が出来ない。どのような場所にも自分と同じような生活をしてる人がいて、戦争とはそういった"生活"を"暴力"で奪う事に他ならない。なので、どうしても戦争の肯定をするには短絡的な思考にならないと無理だという判断に至るのだ。
口が悪くなってしまうが、戦争を肯定する人間というのはあまりにも想像力が貧弱で、おそらく戦争になっても自分たちが勝つものだとどこかで全く根拠のない自信を持っているとしか思えない。クレバーなふりしてどうせ戦争に負けた時のリスクだって考えるに至ってないのだろう。と、つい毒づきそうになる。

だって僕はどうしても「友達や家族が殺されたらどうしよう。凌辱されたらどうしよう」と考えてしまう。もちろん自分だって死ぬかもしれない、人を殺してしまうかもしれない。それが仕方の無い事だと思うとしたら、考える事を諦めた人か、ただのバカだと思ってしまう。もしくは自分はいつ死んでも構わないという破滅願望がある人か。

そうは思いながらも、どうすれば戦争を肯定できるだろうかと考えた結果、「じゃあ、戦争を扇動する奴と、戦争したい人間同士だけが戦争に参加し、市民に何の暴力的被害が無いなら、まあ良いだろう。」と結論に達する。そこで、今度は「自分の死を賭してまで戦争に向かう心情や状況とはいかなるものだろうか」と、考えを進めていく作業が僕の脳内では頻繁に行われる。


元々、アルカシルカのアルバムを作る際に「映画を意識して曲順を構成していく」というテーマがあった。架空の映画のストーリーを考えて、それぞれのシーンに合わせたBGMをチョイスするという難儀な曲順の決め方だ。

で、今回は先ほど考えた戦争についての話を物語に発展させ、国際的に戦争の法律が変わり、その戦争に向かう政治家や兵士、その家族の話を描こうと思ったが、曲順の構成のためだけにそこまで考えてくると、いよいよメンバー間の共有だけでなく、ちゃんと形にもしたくなる。そこで、髙野Fくんという友人の漫画家にその物語の作画をお願いすることにした。

しかし、ザックリと僕が考えた脚本を、髙野くんに見せると、ミステリー要素も含まれたややこしい内容だっため、10巻以上は必要になると言われ断念。
当初の考えていた脚本の世界はそのままに、戦争法が施行される前の話に変更したが、結局ややこしい構成になった。
それでも髙野くんには分かりやすくまとめてくれて、素晴らしい漫画を描いてもらえた。彼には是非とも漫画や好きな事だけで飯が食えて、のんびりミニ四駆を作ったりバンドをしたりと自由に過ごせるよになって欲しい。

ちなみに、要所要所でマンガと音楽がシンクロする作りになっている。


権利について

前述しているが一年前に僕が仕事を受けていたゲーム会社でとある声優のサイン色紙のプレゼントキャンペーンをやったところ、当選した人がオークションでそれを売りに出して問題になった事がある。
「そもそも、なんで転売したらダメなんですか?」と聞いたときにすごく納得する答えが貰えたのだけど、あいにくどういった回答だったか、すっかり忘れてしまった。
なんにせよパンクのシーンでも転売やブート問題というのは度々起こる。
僕からすりゃ限定100枚みたいな価値付けをしてしまったら、そりゃ正規の値段より上がるのは当たり前だと思うし、それより、ゲオの250円の中古CDコーナーに置かれる方が個人的にはショックがデカいので、自分たちの作品に高値が付く事は誇らしくもあると思っちゃいそうだが。

とは言いつつも、別に自分たちが作るものに意図的な付加価値を付けて価格を吊り上げようとはしない。


僕らがバンドメンバーで運営しているスペースの一つにNEO POGOTOWNという場所があるが、そこは音楽スタジオ、服・雑貨屋・Cafe & Bar、Tattoブースなどが一体となっている。ちなみにここで提供しているドリンクは価格が決まっていない。それは「金銭的余裕がある人は多めに出してくれたらありがたいし、金がない人は無理して出すことは無い」といった感じでお客さんのお財布事情に合わせて自分で値段を決めてもらうシステムだ。

もちろん、このシステムは多めにお金を出してくれる人が居てくれてるからこそ成り立ってるシステムだが、ただ、お金を多く出してる人が不公平を感じるとか、少ない金額を出した人が申し訳なさを感じるとか、そもそも面倒臭いから値段を決めて欲しいという意見があるのは百も承知である。

一応、500円を超える金額で酒を買う人がいれば、「お菓子貰って良いからね」とサービスをしたり、100円とか原価が割れそうなくらい安い金額で酒を買う人がいれば、提供する量を少なめにしたりと、ある程度帳尻合わせはするが、ただ、そもそもの話になるが、まずお金が無い人の方が得と言う事は無いし、金が無い事に申し訳なさを感じる事もない。
僕らは選択肢を与えてるのだから、他人と比べて不満に感じてしまいそうなら金を持っていても安くで買えば良いし、申し訳なさを感じるのであれば、店内をホウキで掃いたりトイレ掃除をしたらタダでも呑めるシステムがある。それだけで僕らは助かる。

これは、すごく乱暴な理論になってしまうが、月収10万円の人の1万円と月収30万円の人の1万円の価値が同じであるわけが無いので、「価値は人に決めて貰うのではなく自分で決められるようになって欲しい」という想いがあって、そういうことが意識できる場所が一つくらいあっても良いでしょと、このシステムを取り入れてみている。もちろん他にもいくつか理由があったりはするし、ここでわざわざ書くような事でもなかった気がするが、なんにせよ、そういった僕のねじれた考えがバンドでも反映されており、アルカシルカは価値の所在を曖昧にすることが多い。

例えばアルカシルカの1st DEMO CDは当初、沖縄県内で売る用と県外で売る用、ライブ会場用とジャケットのインクカラーを分けていた。が、途中から面倒くさくなって、まるっきり別のデザインに差し替え、結局四種類くらいのジャケットがあるが、自分たちも数を把握してなかったため、どの色に価値があるかどうか判断しようが無いし、Tシャツや缶バッジだって、数個しか作ってないもの、気まぐれで一つだけ作ってみたものなんてのもザラにあるが、それがどれだったかなんて分からない。
なおかつ、アルカシルカは海賊版(ブート品)も自由に作って構わないとも公言しているので、単純に数字で価値は測りにくくなっている。

(画像は本作"不条理不協和音"に記載している権利表記)

前述しているが、僕にとってはどれだけの人に届くかが重要なので、誰かが不幸になるような事がなければ何をどうしてくれても良い。
そして、僕らが作ったものでもブート品でも良い。バカみたいに高値が付けられてたとしても、ゲオの250円コーナーで買ったとしても、その人にとって価値あるものになってくれればと願っている。


音楽性について

アルカシルカは様々な音楽の影響下にあるが、どうにもジャンルのくくりが難しい。
たまにラスティックストンプやアイリッシュパンクと言われるが、アイリッシュの要素があるのはSalud!という曲のラストだけだし、ラスティックに関しては定義が広がり過ぎてて難しいところで、好きなバンドも多いが、僕の知ってるラスティックの範囲内には全く踏み込んでないと思っている。
そして、ハードコアパンクも好きで昔から良くライブにも行くし、一緒に演る事も多いが、明らかに異物感があるのは自覚している。

なので、悩んだ末にSlash Folk(スラッシュフォーク)と名付けた。フォークには一般的なイメージのフォークソングもそうだが、本来の"民謡"や"民俗音楽"という意味合いの方が強い。

元々は僕個人的にはジプシーやバルカン等の中東音楽の要素をハードコアパンクに組み込みたいという願望があったが、いかんせんメンバーの誰も音楽的セオリーが分かっておらず、「このスケールで作ればジプシー音楽になる」とか「このリズムにすればハードコアになる」みたいな音楽ルールが全くわからず、「こんな感じじゃない?こうしてみようか」と、お手本にするバンドもいないまま、雰囲気だけで曲を作ってきたのに加え、僕の歌唱力が致命的な事もあって、表現範囲が局所的で何をやってもそれっぽくならないまま、現在の形が出来上がった。
せめて、音感かリズム感の内の一つくらいは人並みになりたいとは思っているが、どんなに高望みしても、まだまだ今のところは何をやってもアルカシルカにしかなりそうにない。

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