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忘戦歌01

僕が以前、洗濯板で参加していたバンド「Wa Rubbers」のライブでロシアに行ったことがあった。
その当時、僕らをサポートしてくれた当時大学生だったポールがInstagramで軍服を着て戦争を嘆いていたと、当時のメンバーのけにょから教えてもらった。
ロシアによるウクライナ侵攻。少なくとも、僕らにとってこの戦争がなんにも関係のない話とはいえないのだとショックを受けた。
僕らにすごく優しくしてくれた彼が誰かに殺されるかもしれない。
憎むことさえできない人を殺してしまうかもしれないのだ。

話は変わって、僕が現在やっているバンド、アルカシルカで昨年リリースしたZINE & CDの表題曲になっている「忘戦歌(ほうせんか)」という曲がある。
これは、僕の祖母の半生を歌にしたもので、その経緯は下記の動画を参照して欲しい。

この忘戦歌は、音楽だけでなく、祖母の体験をそのまま時系列に沿って記述した冊子も一緒に作っている。
今日、久しぶりにこうしてキーボードをタイプしているのは、この祖母の話をインターネット上でも公開しようと考えたからだ。
元々、誰にでも無料で読むことができるようにネット公開は考えていたものの、公開時期はもう少し先の予定だった。
日本でも様々な議論が起きている今こそ、戦争とはどういったものなのか。そこに巻き込まれた一般市民はどのように生きてきたのか。
ウクライナのことが遠い国の話として現実味を感じられないのであれば、せめて同じ国に生きる人間に起きた出来事で想像力を持って欲しい。

戦争なんてどこの国でも起きてはいけないと思うからこそ、語り継いでいかないとならない話がある。

※以下からはアルカシルカZINE「忘戦歌」に収録されている第二次世界大戦を生き抜いた僕の祖母の話です。
祖母の視点で語られたものに加え、祖母からの話を見聞きした子ども(僕の叔母)による補足された話を、感情的な記述を控え、時系列に沿って編集したものですが、もしかしたら年代などに間違いがあるかもしれません。
もし、事実と異なる点が見つかれば、その都度修正していきます。


玉那覇春子の話

春子が生まれたのは1938年。
沖縄県南部の具志頭村という地域で生まれ育った。歳の離れた兄がいたようだが、ハシカから肺炎をこじらせ5歳の時に亡くなってしまったため、彼女は一人っ子として育てられていた。
祖父が昭和天皇の近衛師団だったこともあって幼い頃は裕福な家庭で育ったという。
しかし、春子の父は、酒と女好きで、ある日突然、妻と娘を捨てて別の女の元に行方をくらませた。

母は父方の姓である佐久眞(さくま)という名前を呪うことしかできず「佐久眞の人たちは親戚ではない。鬼の一族だ」と、父の恨み言を聞かされながら春子は育てられたようだが、佐久眞家からは春子は大層可愛がられていたため、道で祖母に会うと、抱いて佐久眞家まで連れて行かれることもあった。
春子は父方の姓である佐久眞と呼ばれたり母の姓である松村と呼ばれたり子どもながらに戸惑っていたそうだ。


開戦

そんな中、1945年、春子が7歳の時に沖縄戦は始まった。
米軍が沖縄に上陸して約2ヶ月目の6月初め。
敗走してきた日本軍によって「村を使うから」と住民たちは追い出される。 その際に、炊事班だった母は村を出る前に日本兵から手榴弾を渡される。

「鬼畜米英に一般市民が捕らえられると女は辱めを受けて殺されるから、その前にこの手榴弾のピンを抜いて死になさい。」

律儀にも母と娘の2人分の手榴弾を持たされていた。
何も知らない春子は、母に「この輪っかはキラキラ光っててキレイだね。お母さんの付けてる指輪みたい」と言いながら指に引っ掛けたところで母は慌ててそれを取り上げ、人が取り出せないような岩と岩の隙間の奥深くに2つの手榴弾を沈めた。

それから、梅雨の中、雨に打たれながら母、祖父母、親戚の人々と共に戦渦を彷徨っていた。
泣いたら置いていくと言われながら、隠れ場所になりそうな壕を転々としたが、子どもは泣き声で敵兵に見つかる可能性が高くなるという理由で、どこも日本兵たちによって門前払いされた。
その道中で、数多の死体を踏み分けながら、人間は死ぬと風船のようにパンパンに膨れるものと、身体中の水分が抜かれたように萎んだ状態のどちらかになるのだと知った。


子どもに向けられた銃口

沖縄の墓は亀甲墓と言われるもので、日本国内の一般的な墓よりも数十倍の大きさがある。

【亀甲墓(かめこうばか)】沖縄にある一般的な形状のお墓

亀の甲羅状の石の屋根があり、その内部には石室と言われる4畳から8畳ほどの広さの部屋には骨壷などが置かれている。
どれだけ逃げても隠れ場所がないとなると、砲撃から身を隠せる場所がたとえ墓の中でも構わなくなる。

母から、「亀甲墓の形は子宮を模したもので、母から生まれてもまた死ぬときは胎内に帰るんだよ」と聞かされながら春子は死を意識せずにはいられない気持ちで墓へ向かっていた。
そのとき、春子たちとは別の家族の子どもが同じ墓に向かって走り出しているのが目に入る。
すると、その近辺に潜伏していた日本兵がその子どもたちに対して銃口を向けていた。

「あの人、変だよ。なんで日本人が同じ日本人を殺そうとしてるの?」

春子はそう母に言うと、「あれが日本人なんだよ。日本人は野蛮人なの。アメリカ人と一緒だよ。」と、そのように返された事を春子は忘れる事ができなかった。

それからも、春子らはどこへ逃げた方が良いのかも分からないまま、南波平(みなみ なみひら)という村へ辿り着いた。

一軒の大きな赤瓦の家を見つけ、そこに逃げ込むと誰も寝ることもできないくらいにたくさんの人がひしめき合って座り込んでいた。
若い人はみんな兵隊として駆り出されているため、そこには老人ばかりだった。

「私たちもここに居させてもらえませんか。」母らがそう尋ねると、「人がいっぱいなので中は無理だよ。でも、軒下でも良いならどうぞ」と言われ、梅雨時で雨がそこら中を穿つ中、飢えや疲れを抱え春子らは軒下で座っていた。
母は、「どうせ私たちは死ぬ。せめて死ぬときは綺麗な格好をしておきましょう」と、村から持ってきていた一張羅を春子に着せた。


母の死

軒下で過ごすこと3日目の夜、稲光のような光が春子の目を覆った。照明弾だ。

【照明弾】夜間などに高照度の光を空中に放ち、周囲を照らし索敵や合図に使うもの

母は「今度はもっと大変なものが来るよ!」と、春子を抱きしめ身を小さくした。

それからはたった一瞬の出来事だった。

照明弾によって照らされた赤瓦の家はすぐさま砲弾が打ち込まれ、直撃。
辺り一面は血の海となり、人間であったのかも分からなくなるような肉片もあちこちに飛び散っていた。

母が抱きしめて守ってくれたおかげで、春子は右手の先と脇腹の傷だけで済んだが、母は全身が傷だらけで顔の半分は皮が剥がれ、至るところから出血していた。
建物の中にいた人たちで無事な人はいないかと覗き込んだが、建物は燃え盛り、誰1人助けることはできず、ただ見ることしかできなかった。


喉の渇き

それから、すぐ近くにある大きなガジュマルの木の下に枯れたサトウキビの葉を敷いて春子は母と一緒に寝た。
しかし、春子は猛烈な喉の乾きに襲われ、弁当箱の蓋で水を汲むため近くの井戸へ向かうと、踏んで歩かないといけないほどに死体が折り重なっていた。

どれだけ水を汲みにいって飲んでも、春子も母も、喉の乾きを癒すことはできなかった。
弱りゆく母は死の直前、春子に対して「あなたは私の一人娘なのに私を置いていくの?私を捨てていかないで。戦争が終わったところで、どうせ世の中は良い世界にはなってない。だから一緒に死のう。」と強く抱きしめてきた。

しかし、春子は「わたしは死ぬのが怖い、まだ死にたくない!」と言って母を蹴飛ばすように、無理やり腕を振り解いて逃げてしまう。
それでも母は叔母に対し「私と春子を一緒に埋めて欲しい」と懇願したが、「この子はまだ枝葉程度の怪我しかしてない。戦争が終わってもちゃんと生きていけるよ」と母に告げた。


弔い

そしてわずか数日の内で母は息を引き取り、続いて親戚の叔父も亡くなった。
それから、親戚の叔母と共にガジュマルの木の下に土を盛って埋葬をした。埋葬が終わるとその上に石を積んで、サンを結んだ。

※サンの写真

【サン】「さんぐゎー」とも呼ばれる魔除けのようなもの。
ススキやカヤの葉を結んで作られており、この時は下に人が埋まっている事を示す墓のような役割として利用した。

母を失ったものの、叔母からは「泣いてはいけない。泣いたらお前を捨てていく」と、春子は母の死に涙することも許されず、夜通し歩いて砲爆撃から逃げ続けた。

もう、その時の記憶は曖昧なもので、気づけば春子の家族や親戚は18人が亡くなっていた。

喰われていく片腕

壊れた馬小屋を見つけ、ムシロをかぶって寝るのだが、右手の小さな傷口に金属片が入り込んでいた事で化膿し腕は腫れ上がりいつの間にかウジが沸いてた。激痛に堪えながらも、日が経つに連れ、ウジは春子の腕を食い進み、怪我の範囲はだいぶ進行していた。

また、痛みだけではなく、羽化しようとするウジが目や耳、口や鼻にまで入り込もうとしてくる不快感も相当なもので、満足に眠ることも許されなかった。そんな、ある日、春子が布団がわりにかけていたムシロを突然剥がされ、英語で何かを喋りかけてくる複数の米兵が現れた。

春子はひどく恐怖した。
「敵国の兵士は人間ではない」と教えられており、どれほど残虐な行為が待っているか分からなかったからだ。
しかし、春子が聞いていたような乱暴な扱いを受けることはなく、米軍の車へ乗せられる事になった。

目の前には黒人の兵隊がおり、ニカっと笑いかけたが、春子はえらく怯え、手で自分の顔を覆い顔を背けた。

忘戦歌02につづく

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