シンガポールで働く、子供を育てる、持病と向き合う

13歳でアメリカに引っ越し、英語が話せないのに現地校に入学。そのカルチャーショックがも…

シンガポールで働く、子供を育てる、持病と向き合う

13歳でアメリカに引っ越し、英語が話せないのに現地校に入学。そのカルチャーショックがものすごくて、人生が180度変わってしまった。その後海外と日本を行き来しながら、気づいたら人生の半分を海外で暮らしている。現在はシンガポールに暮らしながら2児を育てるワーキングマザー。

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「ぜんぜん変わらない」

先日、2年ぶりくらいにとある知り合いに会った。一緒にランチをしていたら、彼女が言った。 「ぜんぜん変わらないね。」 何でもステイホーム期間中に太ってしまったことを気にしているらしく、私は全然太っていない、ということだったらしい。COVIDの影響で前よりも運動するようになり、歳のせいで食べる量も減ってきたので、確かに太ってはいない。 でもこの2年間で、私の容貌は全く変わった時期があった。乳がん治療中は抗がん剤の影響で髪の毛はもちろん、まつげ、眉毛、その他体のムダ毛がほぼ全

    • そもそも海外に住むことになったきっかけ

      私が海外に出たのは、「親が連れ出してくれた」からだ。 13歳の時、父がアメリカ転勤になった。確信犯だった。私と兄を海外に連れて行きたかったらしい。私はそれまで、東京の平和な郊外で育った、ごく普通の女の子だった。もともと非常にシャイで、母親や兄の陰に隠れていた内弁慶。母は「こんなにぼーっとした子で将来大丈夫かしら」と心配していたらしい。 私はといえば、外の世界を知らないのだから幸せだった。小学校では地味な生徒で得に楽しかった記憶がないが、中学校では友人に恵まれ楽しい日々だっ

      • リサーチ魔

        海外で1人で暮らしている間に、私は随分とたくましくなってしまった。もともとは、1人でバスに乗ったり、マクドナルドで注文することもできないくらいシャイで、家族に頼って生きていた。 でも、人間必要に迫られるとエンジンのかかり方が違う。私も1人で海外に住むようになり、学校のリサーチ、家や保険の手配、税金の支払い、労働ビザの取得などをやっているうちに慣れて、何でも1人でできる人になってしまった。独身時代は、IKEAの家具の組み立てもほとんど1人でやっていた…。 これはしっかりして

        • 波はやってくる

          私は、幸運に恵まれた幸せな人間である。 何よりも、親に愛されて育った。13歳で親の転勤でアメリカに行ったことがきっかけで英語が話せるようになり、頭はあまりよくないけれどいい大学を卒業し、就職活動では20社以上落ちたけれど希望の業界の最大手1社だけ受かり、大好きなエンタメ業界でずっと仕事をしてきた。仕事をプライオリティにしていたら婚期を逃すかと思われたけれど、36歳で結婚し、38歳、41歳で二人の子供を産んだ。そして、42歳で理想の仕事に就くことができた。 ただ、「順風満帆

          なぜ書くのか

          私は、話すのが得意ではない。仕事で大きなプレゼンをしたり、大人数の前で話すことはあまり苦痛ではない。ただ、自分の気持ちや考えをさらけ出す、アウトプットすることが苦手だ。自分の中で感じたこと、考えたことの大部分は外に出さず、しまってある。そういう性格だ。 私は至って凡人だが、凡人なりに自分の思い通りに面白い人生を歩んできた。今43歳。これまでの人生を悔やむことは全くない。その時その時ベストな選択をしたきた。自分がいろんな挑戦をして学んできたことを他の人と共有したいという思いは