泥炭公

あれやこれや。

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猫がふえる #005

    • 猫がふえる #004

      • 猫がふえる #003

        旧陸軍の士官が贔屓にしたという料亭の遺構がある通りの裏側は狭い路地となっており、そこにはいくつかの古い家屋と居酒屋が立ち並び、すぐ近くには現代的なホテルがあるにも関わらず古色蒼然とした趣があった。 そこにあたかも灯火に引き寄せられた蛾か何かのように一人の物好きな男がカメラを携えてやって来た。 その男は肩幅くらいの路地を奥に進み、 「もっと狭くてもいいかな。いや、これくらいでちょうどいいかな」 などと思案しながら家の庇の上にふと目を遣ると、一匹の老猫が(そこが寺院であるとす

        • かわうそのまつり #004

          六月といえば紫陽花、ちょっと歩けばところどころにあり気軽に楽しめるのがいいですね。

        猫がふえる #005

          猫がふえる #002

          猫がふえる #002

          猫がふえる #001

          猫を撮るのは難しい。 そもそも猫がいなければ始まらない。 そして、必ずしも遭遇するとは限らない。 半日中歩き回ったとしてもボウズである事はざらにある。かといって猫カフェなどは性に合わないし、ひとところに通うのもこちらが筋金入りの飽き性なので無理な相談だ。 故に期待しないで歩くのが精神衛生上よろしい。 運良くご対面しても、写真的によいシチュエーションである事は限られる。 よしんば良い状況に際会しても、先方は身体能力が高く、気まぐれで有名でもある。あっさり踵を返し袖にされる

          猫がふえる #001

          在し日 #001

          十字架があるところからみて宗教施設だったのだろうか? 近くで仰ぎ見ると、日本のしかも木造建築であるにも関わらず、その佇まいはマカロニウェスタンとかで悪党どもが根城にしてそうな朽ちた教会を想起させた。 使われなくなってから相当経っているのか、写真でも分かる通りもう崩壊寸前といった有様だったが、まだその時の私には呑気にも「次回」があると思っていた。 数年後カメラを買い替えた際に、ここをまた訪れたいと思いGoogleマップで調べると、既に解体され駐車場になっている事を知ったので

          在し日 #001

          かわうそのまつり #003

          雲間から陽が顔を覗かせた刹那、期待を込めてとりあえずシャッターを切る。日差しが強いのでその場ではどうなっているか分からないが、後で現像してみてようやく全貌を知る── 海が近くにないので、しょうがないので空と雲を撮る事が多い。それに伴い、雲に付随した現象にも自然に目が向くようになる。 彩雲やハロ、天使の梯子なんて写真が趣味になるまでほとんど知らなかったし興味も無かったが、今やこれらは夢にまで出てくるようにまでなってしまった。 これが写真の余禄というべきものなのか。 ちなみに

          かわうそのまつり #003

          かわうそのまつり #002

          咲いている花をそのまま撮る事には苦手意識がある。 花自体は好きではあるのでよく撮るのだが、後で確認してみるとその出来にガッカリする場合がほとんどだからだ。 言い換えるとあまりにポピュラーな題材ゆえに類型的になりやすいきらいがあるという事になるのだろうか? 上手く撮れたと勘違いしても、結局花ぶりが良かっただけなような気がする…… なので、落花したものを撮る方が好きだったりする。

          かわうそのまつり #002

          かわうそのまつり #001

          古いビルが並ぶ界隈の路地に迷い込み、片側のベージュ色のモルタル壁に視線を移すと、二つの色褪せた青い箱が目に入った ── しばらくその場所で色々と試行錯誤して撮ってみた中の一枚。 当然ながら牛乳箱は様々な種類があるようだが、自分が歩いて見た範囲ではこの明治牛乳の青い箱が多かった。

          かわうそのまつり #001