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猫がふえる #003

旧陸軍の士官が贔屓にしたという料亭の遺構がある通りの裏側は狭い路地となっており、そこにはいくつかの古い家屋と居酒屋が立ち並び、すぐ近くには現代的なホテルがあるにも関わらず古色蒼然とした趣があった。

そこにあたかも灯火に引き寄せられた蛾か何かのように一人の物好きな男がカメラを携えてやって来た。

その男は肩幅くらいの路地を奥に進み、
「もっと狭くてもいいかな。いや、これくらいでちょうどいいかな」
などと思案しながら家の庇の上にふと目を遣ると、一匹の老猫が(そこが寺院であるとすれば)本尊であるかのように鎮座ましましていた。

男は思わず息を呑んだ。

男は路地にも目がなかったが、猫にも目がなかったのでその老猫を仔細に観察すると、いわゆるハチワレで毛色は白と黒に幾分か茶も混じっている。齢は十をとうに越えたようで貫禄は牢名主のようにあり、その御尊顔は威厳に満ち、近頃の人の世では滅多にお目にかかれないような古の哲学者然とした雰囲気を醸し出しているかのように見えた。

心地よい静寂を破られた老猫は片眼を開け、ジロリと物好きな男に一瞥をくれると塵芥でも見たかのように意に介さず、また昼寝、もとい瞑想に耽るのであった……

男はいたく感じ入り、毘盧遮那仏とか阿弥陀如来とかなどに拝跪するのと同じような心持ちでカメラを構えシャッターを切るのであった。

ジロリ、と一瞥。

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