公開よむラジオ【カツセマサヒコ編】

引き続き、公開よむラジオについて書いていきます。
今回はカツセマサヒコさんの回。

「なんでそんなにモテたいの?」-カツセマサヒコさん

「カタカナの方のカツセマサヒコが嫌がることは、僕はしたくないんです。」

この「カタカナの方のカツセマサヒコ」という概念(?)が便利すぎ、
かつこのテーマを理解するのに大変役立っていたと思う。

カツセさんの考え方は、「自分にはできないけど、納得できる」ものだった。
「最大公約数モテしたいんです」
「ミスチルになりたいんですよ、僕」
と迷(名)言連発だったカツセさん。
私が長年求めてきた「モテ」は、まさにこの人が体現してるんじゃ?
と一瞬考えた。

しかし、その後のスイさんの反論を聴いて、
そうでないことに気付いた私。

スイさん「知らない人にモテたところで意味ない。私がモテたいのは元カレだから」

ああ、痛いくらいわかる。(笑)
私の場合厳密に言うと元カレというか、知り合った人だけにモテれば満足だ。

ただ私がこれまで書いてきた脚本やnoteは、
より多くの人に愛される方が嬉しい。

それは「私という個人」と「私の作品」の違いだと思う。
「個人」は知り合い、「作品」は多くの人にモテたい。
カツセさんとスイさんの主張って、結局はそこが違ったんじゃないかな?

「カタカナのカツセマサヒコ」は一つの作品であり、
それで仕事としてお金をもらっている以上は、
作品は人気者でありたい。
それはトーク中に何回か出てきた「ビジネスモテ」とは異なると思う。
(「ビジネスモテ」って意味は何となく分かるけど、はっきり定義するとなると難しいですね。でもこういうモテ方してる人は確実にいる。)

私は、この「個人」と「作品」という考え方を前提に置けば、
カツセさんの主張も、スイさんの主張も説明がつくような気がした。

そうは言っても私は、Twitter=作品とはあまり思ってないようだ。
この #公開よむラジオ の感想ツイートがちょっとバズッた結果
「いつものろくでもないツイートするの憚られるな(笑)」と、
日曜の夜という暇な時間帯にも関わらず
12時間ほどツイートを控えている。ああ、しょぼい俺。

よむラジオ効果、またカツセさんやスイさんがリツイートしてくださったからとはいえ、ちょっとびっくりしてます。
しかも若干クソリプっぽいものが来たので…耐性ないんですが、どうしたらいいですか。(助けて笑)

あと個人的に、カツセさんがセクハラについてすごく考えている
というのが印象的だった。
「権威を好いてくれてるのか、個人として好いてくれてるのか」
それを見失ったときに、セクハラオヤジが爆誕するのだろう、と。

「ネットで発信する人に、一番必要なのは客観性」

最近演劇の関係で、
「自分は人からどう見られているのか」、
また「どう見られたら都合がいいのか」を考えていた私にとって、
この日一番しっくりきた言葉であった。
場所がネットでも舞台でも、客観的に自分を見ることが出来て、
その結果自分をより良く見せられる手段が分かっている人は、
表現者としてやっぱり強いんだな。


他人の内面が見えるイベント超楽しい。

公開よむラジオに参加して、感じたことはこれだ。
こんなに人の内面、考えてることを知る機会は無い。
しかも素面で。いや無いでしょ。
行ってみてよかった、一歩踏み出してよかった。

まだ会社に勤めてて辟易していた時、
「何か楽しいことがないと頑張れねえ」と思い立って
勢いでチケット予約した私、GJ。

やっぱり会社、辞めてよかったです。

全く関係ない締めになったところで、完。


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