見出し画像

【感謝】推しを語るということ。

先日からこちらの記事を大変多くの方に読んでいただき、嬉しい限りです。さすが今をときめくSnow Manだなあ。


ところで今日は「推しを語る」ことについて、少し話したいと思います。


推しは尊い。
「尊い」という単語はオタクになってからめちゃくちゃ多用している自覚があり、使う度に便利だな~と思います。

「尊い」には、ざっと以下のような意味があるのではないでしょうか。

・かっこよすぎ、可愛すぎて直視できない
・輝いていて直視できない
・存在しているだけで胸が苦しくなる
・守りたい
・自分なんぞが見てしまっていいのかと躊躇うくらい素晴らしい
・メンタルを回復させるパワーがある
・存在への感謝
・推しを産んでくださったご両親、もはや生命、推しを育んだこの地球、さらには宇宙への感謝
・・・

ソース:私

もちろんここに書いた以外にも内包された意味はたくさんあり、それは対象の推しがどんな状態かにも左右されます。

私はTwitterなどでも感想をつぶやくとき、なるべく「尊い」でまとめてしまわないようにしています。「〇〇が〜で魅力的」「〜なところが好き」など、とにかく「尊い」の内容を少しでも言語化するよう心がけています。

たとえばこのツイートのような感じに。
このときはお笑い芸人のどんなところが好きかを、なるべく伝わりやすいように表現しました。



(それでも推しの魅力にフルボッコにされたときなんかはマジで「尊い」しか感想が出てこないので、そのまま「尊い」と言ってしまうんですがね…笑 その場合は後で「尊い」の内容を詳しく書くこともあります。)

もう二例ほど、「尊い」を言語化してみます。

またジャニーズカウントダウン、今回はラウールの話です。敬称略。
あのコンサートでのラウールのお姿は、もはや発光してたとしか思えないほどキラッキラしてました。何あれ照明のせい?いや違う。もはや彼は石油がジャンジャン湧き出てくる国のプリンスですと言われても余裕で信じる。あふれ出る気高さと気品、パフォーマンスにかける心持ちまでが高貴な御方だと思わずにはいられませんでした。尊い。

そしてもう一人特筆すべきなのが、宮舘涼太こと舘様。
後列にいながらキレッキレのダンスでその存在感を発揮していた『仮面舞踏会』。曲自体が似合いすぎて、舘様をこのメンツに加えた人にお歳暮のハムを送りたいと思いました。自分で希望したのだとしたら需要を分かりすぎている。さすがアイドル。
あと曲中の腰振りはマジで国が傾く(2回目)。ダンス以外での舘様の腰振りは事務所NGにした方がいいのでは……と本気で思いました。
ちなみに個人的には舘様、後列にいるのが似合う方だと思うんですよ。前列にいてもちろん1カメでアップされてもこちらは五体投地なんですけど、後ろでしっかりキレッキレダンスで全体のパフォーマンスクオリティを上げに上げてくれる存在。そんな縁の下の力持ちな舘様が私は好きです。尊い。


こんな感じで、「尊い」の解像度を上げると私の場合400字は優に超えます。原稿用紙1枚分が5分で埋まる。これでまだ少し消化不良感が残るんだから、どんだけ推しってカロリー高いんでしょうか?


とはいえ、以前の私は今以上に語彙力がなかったです。

もう4年ほど前になりますが、私がアニメにハマっていたときはあまりにも自分の語彙が少なくて、誰かの感想を読むたび悔しい思いをしていました。

解像度が激高い自分以外の人の感想ツイートを読むたびに、「それそれ、それが言いたかったんだよぉぉぉ!!」と唇をかみながらいいねを押すしかできない自分。それはそれで楽しかったのですが、同時に歯がゆさもありました。

「オタクとして、語彙力をもっと磨こう。推しの魅力を表現豊かに語れるようになろう!」と決意したのはそのときです。

結局最後「尊い」に帰結するとしても、そこに至るまでの思考の言語化を省くのはもったいないと思っています。

オタクになってからの自分の感情、高ぶり、気づき、心の変化。また他者の状態に対して言葉を与えるのは大変難しかったし、今も依然として難しいです。きっとこれからも難しい。

もっと自分の気持ちとピッタリな言葉が、源泉のようにゴボゴボと熱を保ったまま沸いて出てくればいいのに!!
そう思いながらTwitterのトレンド欄やYouTubeのコメント欄を眺め、あらゆる感動を伝えるための表現を勉強しています。

そうやって解像度を高めた表現は、誰かから共感されることも増えます。

「わかる〜」「それな」「ほんとそれ」
これらに準じたコメントを見るたびに思うのが、みんな私と同じように推しへの思いを表現したがっていて、それでもなかなか難しい現実にやきもきしているのかもしれない、ということです。

共感されるかどうかは、SNSが基本媒体となったオタク界隈でかなり重要視される点だと感じています。

とはいえ共感されないと数字が伸びないとか、Amazonの書籍レビューに「主人公に共感できないから☆2です!」と書評がつく世の中も世知辛いし、別に共感できなくたって作品が面白いと思ったら高評価つけたっていいじゃん、とも考えるのですが、私もやっぱり共感時代を生きてきたからなのか、誰かが私の文章を読んで「自分の気持ちを代弁してくれているよう」と言ってくれると嬉しいんですよね。これは私が背負っているルーツのようなものだと諦めて、個性として大事にしていきたいと思います。

何が言いたいかっていうと、
「オタク(私)よ!語彙を磨け!」
ってことと、
これからも推しが尊すぎてつらい、そんな自分のもどかしさを少しでも解消するために、オタクとしての表現力を磨いていこう!
ってことです。

その努力が、推しの魅力に圧倒されすぎてどうしても言葉が出てこない人たちのためになったとしたら、結果的にでもこんなに嬉しいことはありません。

私が文章を発信するきっかけややりがいを思い出させてくれた、noteを読んでくれた人たち!ありがとうございます!!

これからも書き続けます!!

日々の思うことを綴ります。エッセイ大好き&多めです!