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秋はフジファブリックの季節

今日の午後、ふとある曲を聴きたくなった。

フジファブリックの『記念写真』。

この曲は秋の涼しくなってきたころに聴くのがちょうどいい。

とはいえフジファブリックで秋といえば、多くの人はこっちだろうか。

『赤黄色の金木犀』

始まりは遅くもなく速くもなく…なスピードで進んでおいて、1番のサビでテンポを上げる感じ。
気づいたら季節が秋に変わって、「え!?もう今年終わりが見えてきたの!?」と毎年焦る、あの感じに似ている。

とはいえ『赤黄色の金木犀』の中では

何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道

『赤黄色の金木犀』

と言っているので、あぁもしかしたら焦るのも無駄なんかな、とも思ったり。
「無駄に」は、胸が騒ぐ方にかかっていると思うので真意は分からないけども。

曲はそこから上がったテンポのまま進むが、最後のサビ前でギターと志村さんの歌だけになるところ。
時の流れの速さを感じつつも、ふと立ち止まってしまう秋のあの日そのものだ。

フジファブリックの曲って、もはや人類なんとか学に全て基づいて作られているんじゃないだろうか?
これはもう「共感」とか、「わかる」とか「いいね」みたいな概念じゃ語りきれない気がする。

***

『若者のすべて』

フジファブリックといえばこれなんだ間違いないと、私の中の長井秀和が言っている(ネタ古くね!?)。

振り向いたまま
僕はそっと歩き出して

『若者のすべて』

年齢を重ねれば重ねるほど、サビよりもラスサビ前のたったひとフレーズが身に染みるのなんで。

夏の終わりにそっと歩き出した私たちを、金木犀の香りで焦らせるフジファブリック。

四季の移ろいを感じるのは日本ならではの良いところだけど、それって同時に「時間は進み、決して元には戻らない」ことを痛感させることでもあるんだよね。

『若者のすべて』→『赤黄色の金木犀』→『記念写真』

流れてゆく季節、時間を前にして何もできないけど、そんなときこれらのフジファブリックの曲があって良かったなぁとしみじみ思う。

すでに過去になってしまった季節を懐かしみ、「夏はたしかにあった。もうここにはないけれど。それでもあった。あったんだよ、なぜなら今秋が来ているから。きっと今年も冬が来るね」ぐらい言えたら上出来だろう。

***

季節が巡って君の声も忘れるよ
電話の一つもしたのなら何が起きる?

『記念写真』

好きな曲の歌詞を「エモみがある!!」とブチャラティで片付けてしまうのは簡単なことだが、作詞した人が込めた思いだったり、メロディーに乗せて歌うことで生まれる相乗効果だったりは、なるべくなら省略しないで言葉にし続けていきたい。

と、ふと思った秋の入り口です。

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