お米の神様? 第32話 お米は神様・2(最終話)

 兄とゲームに興じ、父のパソコンを直してやる息子を観ながら、私と母は台所に立った。
 既に煮ものは出来てご飯は炊きあがっているので、私がキャベツとキノコの和え物を作り、母が味噌汁を作り始めた。
 交互にガス台とまな板を使いながら、私は母の愚痴にお付き合いした。
 愚痴る様子もあっけらかんと明るいのが母のいいところかもしれないが、相変わらずの『長男贔屓」は自覚なく変っていない。

「なんであの子にはお嫁さんの話が来ないのかねえ、来ても立ち消えになってしまうし」
「お母さんが何でもやってあげ過ぎるから、向こうがマザコン臭をかぎつけて敬遠するんじゃないの?」

 私も実家を離れて長く、母の影響からある程度離れたせいか、いっちょまえに言い返すようになっていた。
 だが母にとっては私はいつまでも、兄の後ろをついて、兄を観察して危機を回避する要領のよい末っ子なので、言い返されるとは想定していなかったらしい。

「そつけなごどないごで(そんなことないわ)」
「いっつもいっつもお母さんは、何でも自分でやってしまう人だったした(だったじゃない)。んだがら、お兄ちゃんもその方が楽で、身を入れてさがさねなでねえな?(探さないんじゃない?)」
「伽耶子も言うようになったごど。んだげんどお前は恵まれてるから、お兄ちゃんの大変さをしゃねーべ(知らないでしょう)」

 その兄の大変さを、幼い兄に刷り込んで、兄の人生を半ば決めて、自分達で変更して勝手に悲劇の人物に仕立て上げたのも両親、母親ではないの?

「お母さんが勝手にお兄ちゃんの人生を色々変えて、それを私におっかぶせてくるのは無責任だよね。自分でやったことだって自覚はないの?」

 私の声も粗くなる。
 不穏な空気に父と息子は聞き耳を立て始めたようだ。

「お兄ちゃんが今可哀想だとしたら、それは私と関係ないよ。お母さんとお父さんと、お兄ちゃん自身のせいだよ。大学にしたって進路にしたって、自分で色々こうしたいって声をあげて、実行する機会はあったから。それをしないのは自分だから」
「お前もいうごど(言うねー)」

 母はびっくりしていたが、私は受け継ぐものは受け継ぐが、自分でやりたいことは断固自分で決めて進む。
 それをしないで後悔しても誰のせいにもできないからだ。
 母も父も、可哀想だと言うだけで、自分達がレールを敷いて真綿で首を引っ張るようにすすめたとは思わない人なのだ。

「やめろやめろ伽耶子。お母さんさきついこと言ってわがんねごで(言ってもしょうがないだろう)」
「伽耶子、今は女の人の方が結婚さ乗り気でないなよ。自分で働いて、実家で幾らかのお金入れて、家事は全部親にやってもらって、あとは自分の自由に使えるって、そんないいご身分ねえから。親が焦ってお見合い話進めようと思っても、逢ってみたら娘さんの方が前々その気ありません、ていうごどばっかりだ」

 そうぼやきながら母が作った味噌汁は、あれ?と首をかしげる味だった。
 身体に染みついたものよりだいぶ味が薄く、コクが無く、置賜弁で言うと『どんけねえ』うすぼんやりとした味になっていた。

「減塩運動って市の保健所からうるさく言われっからよ、味噌も醤油も塩分すくねえっていうの選んで、控えめに使ってるなだ」

 なるほど、ここは日本有数の高血圧地帯の山形県だ。健康のための減塩のためか。
 母の漬物も記憶の中の味よりずいぶんマイルドになっていたし、梅干しももう自分達では漬けず、塩分控えめのものや蜂蜜漬けの甘いものを近所のスーパーで買ってくるのだそうだ。

「もう食べる人も減ったし、婦人部の人も年とって人の家の手伝いさ回るなんて出来ねぐなったがら、いつの間にか作んねぐなっなだ」

 それはそうなのだ。我が家は市内の中央地区と言われる所にあるが、それでも子供たちの登下校の時間以外は若い人の姿はなく、行き交う車の運転席にお年寄りの姿が目立つ。
 私が子供の頃に現役バリバリ主婦だった、町内会婦人部のおばちゃん達は、全員漏れなく『ばばちゃ』になっている。
 あらうんど50の私は、市内の人口構成でみるとまだ若い方らしい。
 遊びに行ったキーちゃんちのママも、子供会のスイカ割りで汁と種を全身に浴びて笑っていた世話役のたかしくんのパパも、街中のお店で出会うと別人のように年老いているのだが、私の事を憶えていて

「あら紬屋の伽耶ちゃん、帰って来ったな? お母さんとお父さん嬉しがってっぺ(嬉しがってるでしょう)」

 と話しかけてくる。
 私は愛想笑いを浮かべつつ、曖昧に相槌を打ち、『誰だっけ?』と脳内で記憶を総動員してつなぎ合わせるのに苦労するのだ。

 もう東京に帰るという日。
 母は。午後の新幹線で発つ私と息子に食べさせるお昼ご飯のために、朝から料理をしていた。
 ナスのひき肉詰め素揚げ、玉こん、里芋と厚揚げと手羽元の甘辛煮、小茄子とキュウリの辛子漬け。
 遅めに起きて荷造りをし、実家の廊下と風呂場とトイレを掃除していた私と息子は顔を見合わせた。
 煮ものも揚げ物も大きめの鍋にぎっしり。いくら何でもこんなには食べられないという程の量だ。
 この「作り過ぎ、ふるまい過ぎ」が当地のもてなしの特色でもあるのだが。
 加えて母は、炊き立ての白いご飯でおにぎりを作り始めた。
 午後の新幹線で帰る息子と私に持たせるためのおにぎり。
 丸く平べったい、母の掌いっぱいいっぱいの大きさ。具も入れず塩を振って海苔で巻いただけの、お米そのものの味100%のおにぎりだ。

「すこし食べてみっか?」

 母が振り返って言う。
 私は息子も呼んだが、彼は兄と対戦ゲームに夢中で呼んでも来ない。

「あの子、来ないわ」
「いいがら。お前さだけちょっとけっから(あげるから)」

 そう言って、新たに小さな小さな俵型に握って、ちょいと塩を振り味付け海苔で巻いてくれた。
 これこれ。
 子供の頃、兄と私のおやつ用にと、忙しい中ササっと握ってくれたものだ。

 一口で食べられる大きさ。
 口の中で甘くて、しょっぱくて、お米の香りがふんわり立ちのぼり、お腹の中が暖かくなる。

「んまいべ? 水と米が良いもの」

 隣に立って、黙って噛みしめている私に、母が自慢げに言う。

「雪さえ降んねがったら、こんがな良いどご無いなだ。おらは長井がらどこさも出てく気はないなあ」

 その母の目の前で、私は指についたお米をわざと行儀悪く舐める。
 思った通り、母にたしなめられながら。

 お米は 神様なのだ。

                                                                      (了)


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