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面倒は臭くなんてない

ある日、こんど4年生になる息子が私に聞いてきた。

「パパはさぁ、めんどくさいって思うことないの?」

最近気に入っているドラゴンボールの絵を、いっしょに模写しているときのことだった。

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丁寧に形を取りながら描く方法を教えていたのだが、そのやり方が彼にはちょっと面倒に感じられたのかもしれない。

「面倒くさいっていう気持ちは、一番やっかいなものなんだ。でも、それを気にしないようになれたら、何でもできるようになる。絵を描くなんてのは、多くの人にとってそもそも面倒なことなんだから。」

と、知ったようなことを言いながら、思う。



(いやいやいや、あんた十分克服できてるやん…)



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これは、息子がコツコツと描き続けた絵だ。と言っても、トレース台を使って描いているのだが。

それにしたって、この数はすごい。描き始めたのは、せいぜい半年前くらいだ。もはや主要なキャラは描き切ってしまっており、ついにこの度50枚を超えた。

しかも律儀なことに、キャラクターが登場した順に並べてファイルにまとめている。

色鉛筆だけで描いているのだが、よく使う色は極限まで短くなり、最近ではバラ売りのものを一本ずつ買い足すようになった。

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彼は昔からそうだ。何かやりたいことを見つけて動き始めると、集中して延々と続ける習性がある。それもキッチリと、ひたすら几帳面にやるのが好きなようだ。

普段は大人しい性格で、決して運動が得意な方でもないのだが、人の言うことをよく聞くので全く手がかからず、小学生男子としては驚かれるほど物静かなタイプ。

でも何か内に秘めたるものを持っていて、苦手なことでもトコトン努力して、時間をかけて克服する。

几帳面な性格の彼にとって、描きたい絵をキッチリ写せるトレース台は、最高のオモチャらしい。朝は誰よりも早く起きてキレイに布団をたたみ、きちんと着替え、リビングでひとりカリカリと描いていたりする。

最近では自分でMacを開き、元になる絵をGoogleで画像検索して、Illustratorで配置して、プリントアウトまで一人でやるようになった。

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思えば私の絵の原点も、小学生の頃に描いていたドラゴンボールの模写だった。30年の時を経て、まさか自分の息子が同じようなことをするようになるとは思わなかった。そう考えると、鳥山明先生には感謝の念しかない。

ただ、私だってここまでたくさん描きはしなかった。何が彼をそこまで掻き立てるのか。

「人類最大にして最強の敵は“めんどくさい”だ」 

これはたしか古谷実の「グリーンヒル」の中で、主人公がよく言っていたセリフだ。まさにその通りで、大抵のことは「面倒くさい」という感情に邪魔されてしまう。

絵を描くこと。文章を書くこと。企画すること。デザインすること。

モノを作るということは、ほとんどの場合面倒なことだ。しかし、それを乗り越えることさえできれば、あとは努力次第でなんとでもなる。

もちろん、いいものを作れるようになるには、それなりの修練が必要になる。ただ、それを一瞬でも「面倒臭い」と思ってしまうと、できあがりのクオリティは著しく低下し、見る人によってはそれが透けて見えてしまう。

自分も、若い頃は心のどこかで面倒くさがってばかりいた。ついつい結果を焦って「何ができるか」ということから考えてしまう。本当は、回り道でも「どうやればできるか」をトコトン考えた方がいいのだということを、頭ではわかっているつもりなのだけど。

そもそも面倒なことを「臭い」なんて言い出したのは誰なんだろう。この「臭い」が厄介者な気がする。

面倒なことに直面したとき、雰囲気だけで「臭い」なんて思わずに、積極的に頭から突っ込んだ方が、多少時間はかかっても後々大きな成果につながるはずだ。

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息子がトレースし続けている絵には、何か「執念」のようなものすら感じる。しかし、私は知っている。アートとは「執念」から生まれるものであるということを。

彼がこの先、どんな道を歩んでいくのかは分からない。だが、何か人にとって大切なものを一つ持っているような気がしている。

そんな彼を、私は尊敬すらしている。

君はすごい。

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そんな息子を横目に、父は本を書いている。時折面倒に感じることもあるが…いや、臭くなんてない。私も見習わねば。

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