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「対話型鑑賞」はなんのために

対話型鑑賞とは

対話型鑑賞とは、絵画を美術史などの知識から理解するのではなく、絵画のみを見て読み解くと言っていいかと思います。そして読み解くのは一人ではなく、グループで読み解いていきます。だから、人の話は新たな気づきになったり、自分の新たな読み解きのトリガーになったりします。

いままでの美術鑑賞は

文字や音楽では、文字や音をそのまま受け入れることができても、美術の時にはなんとなく美術家のことやその時代なんかを知りたくなってしまう、そんなことないですか。だから美術館に行った時に、作品それ自身より、キャプションの方を見てしまうみたいな。

対話型鑑賞はいろいろあると言っても

「対話型鑑賞」といっても、Visual Thinking Curriculum(VTC)から始まり、Visual Thinking Strategy(VTS)へと本場アメリカでは変化してきました。だから作品以外は全く情報を出さないやり方から、作家情報など作品以外の情報も出すやり方まで、バリエーションがあります。しかし、作品自体をどう読み解くかというところでは変わりません。

自分とコミュニケーションを取る能力を養う

探究の学びを提供している私として、対話型鑑賞は有用であると考えています。ビジュアルの情報を、言語の情報に変換してもらう必要があるのがいいと考えています。言語情報をことばにするのって、なんとなくできてしまいませんか。慣れていることもあるでしょうし、ことばがことばを連れてきてしまいます。
しかし、ビジュアルをことばにするのは難しいです。芸術鑑賞全般で言えるのですが、「なんかいい」で済ませてしまうことが多くあります。いや、ことばにすることを野暮とまで思ってしまったりします。
ビジュアルから言語への変換をするには、自分が何を感じたかを感じないといけない。つまり自分の中にあるものをことばにしなければなりません。

「自分が何を感じているのか」とても難しいです。それを習慣的にできることができれば、自分に知ることになります。つまり、探究の学習でトピックとなる「自分と結びついた問題」を知ることとなるのです。なんで、私はその問題に取り組むのかを知ることができる。そして、それをことばにし、他者に伝えることができる。もう最高じゃないですか。それができるだけでも、世の中の多くの問題が解決できそう。

学びの究極は「自分が幸せになる」ことだと考えています。「幸せになるって、みんなそれぞれだよね」と言われても「対話型鑑賞」により培われる能力(自分とコミュニケーションを取り、言語化できる能力)がなければ幸せを認知できないのです。

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