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「農業科」は普遍的な可能性に満ちている


自然の流れに沿いながら行う農業は、教室の中とは違った教育的効果があるという。

 喜多方にしかないものは多くあるが、そのうちの一つが「農業科」だろう。2007年に市内小学校3校で始められた「算数科」や「社会科」と同じ教科だ。全国で小学生が農業体験をすることは珍しくないが、播種から、収穫、農作物活用まで農業全体の体験を、教育委員会と市民が一体になって行っているところはないだろう。

 まず、始めに説明を加えたい。
「農業科」は教科としてスタートしたが、2009年に学習指導要領に「総合的な学習の時間」ができたことにより、制度として教科からははずされたが、今なお学校や地域では「農業科」と呼ばれ続けている。年間35時間ほどが「農業科」の時間として割かれている。

 新しいことを始めるときには大きなエネルギーが必要だ。始まりは白井元市長が「農業を核としたコミュニティづくり」を政策として掲げている際に、生命科学者 中村桂子さんの著書内の言葉に感動したことだった。
「コンピュータで株を学ぶより、畑で蕪(かぶ)を育てるほうが大事だ」
コロナ禍により生きることが問われる今であったり、ウクライナで起きている戦火による国際的な食料サプライチェーンの不確かさを見ると、中村さんの言葉はより一層響いてくる。私たちは何を目的に生きており、その生をどのようにつないでいくか。そんな大切なことを考える前に、効率や経済性を考えた私たちは考え直す必要がある。白井元市長が現在のことを考えていたかは分からないが、10年以上前(しかも原発事故以前)の決断は未来への大切な宝になりえるだろう。

 中村桂子さんから白井元市長、そしてそれを現実化させた裏方の幸運なめぐり合わせが「農業科」を作った。「農業科」が目指すものは農業従事者を増やすことではなく、農業を介しての「主体性」「社会性」「豊かな心」の育成だ。子どもたちは様々な農作業過程で関わり、様々な人たちがそれを支援している。前述の通り、子どもたちは種まきに関わるが、それ以前に何を植えるかからクラスで議論するという。子どもたちの意向は「農業科」を支える農業科支援員(地域の農業経験者)に伝えられ、一年の作業スケジュールが組まれる。また、教員も農業未経験者として、子どもたちと一緒に学ぶという設計になっているのがよい。
 農業科支援員の他に、農協は困った時の農業指導役として、耶麻農業高校は堆肥提供者としてゆるくかかわりを持っている。もちろん、農作業する子どもたちを遠目から見守る地域の目もある。発端は学校の教育活動なのだが、それが地域に広がりそれぞれの役割を作り出し、子どもを中心として人の関係と地域の景色を作り出している。いままで学校は教育の場所として、地域との間に線を引いてきたが「コミュニティ・スクール」(学校運営協議会制度)という言葉とともに、教育の境界線を拡張し、コミュニティも教育の場にできないかと試行錯誤を始めた。しかし「農業科」の活動を見ていくと、堅苦しい制度を作らなくても、有機的・自然発生的に教育は行われている。それは学校からの一方的な作用でなく、高齢化が進む地域にとっても子どもたちの活発な様子ややり取りから、気持ちの温まる雰囲気をもらっているに違いない。それはまさに「まちづくり」である。実は「教育」も「まちづくり」も線で明確に分かれるものではなく、相互に干渉し合っているのだ。コミュニティを学校にするだけでなく、学校をコミュニティし、分かつことのない相互干渉(そして一つの機能)になることが、これからの学校と地域の付き合い方なのだと考える。結局は昔見た風景であるが。
 ある学校では、収穫が終わると地域のお年寄りに育てた作物を届けるそうだ。 その後、子どもたちは作文を書きながら活動を振り返る。作文の一つ『夢への一歩は学校から』は「農業科」を生むきっかけとなった中村桂子さんの話によく引用される。彼女によって播かれた種が、成長し、収穫され、種を播いた人に返っていく。このサイクルは農業だけではなく、すべてに通じる真理なのだろう。

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