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追い詰める考えはやめませんか?|自分を追い詰める、相手を追い詰める|その考え自体こそ傲慢かもしれない

これはネタバレになるかもしれないけど、ある本を読んでいた話の中ででてくる内容からきになったので引用させていただきました。


貴方は本当に最愛の人でしたか?

もし、自ら命を絶った最愛の人がいるとします。もし、その原因が自分であると強く思うなら、もし、自分自身を強く責め続けているのなら、それは違うよと言いたい。亡くなった方は、貴方のせいで亡くなったわけじゃない。だから、そんなに自分を責めないでと。

これは、自分でなく、誰かを「あなたのせいだ」と、追い詰めるのにも同じことが言える。追い詰めてはいけない。

人は自ら命を絶つとき、どんな状況だろうか。とても怖いはず、死にたいと思って自分で命を絶つ行為はものすごくハードルが高いもの。ある特定の人の言葉だけで、死を選ぶというのは考えにくい。

ほんの出来心で」という言葉がある。死を選ぶのは、いろいろな複合要因があることが多い。ひどくショックな言動を受けるという悪いこと、他のショックなできごと、さらに悩ましい事件が発生したりと、悪いことは重なりやすい。

そんな悪いことが重なると正常な思考ができなくなる。その中で「楽になりたい」と思う一心で禁断のトリガを引いてしまって、自身も知らぬ間に亡くなっていた。こんなケースが多い。可能性の方が高いのではないだろうか。

助かった人には、自分でも気づかぬ間に手首を切っていて、気づいたら病院のベッドの上だったという患者証言もある。

だから、自分を追い詰めたり、ある特定の人を追い詰めたりするのは、傲慢ともいえる。最愛の人は、その最愛の人からみたあなたの存在も最愛の人といえるかどうか?

自分自身が亡くなられた人に対して、そんなに唯一無二の存在という考えこそ傲慢だ。亡くなられたその人には、もっと多くのもっと大切に思う人がいたはず。

だから、居なくなった原因を自分のせいにして自分を追い詰めたり、相手を追い詰めたりする考えはやめようよ。

#3行日記  : 500文字突破した


今日から短く押さえようと思ったので、要点だけ書いてみた。そしたら500文字突破した。どうなんだろう。このスタイル。さて、今日の記事を書き終わったら、自分のやると決めたことに集中するぞ!

ネタばれなので、教えてもらったある本のリンクをひっそり掲載(格好いい! 涼子と貴山のコンビの究明小説

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