はじめて借りたあの部屋

一水四見~言い合うよりも聞き合おう

・ 初めてのアパート

「おう、寛至おはよう」

「やっと起きたか」

 煙草の煙の匂いで目が覚めた寛至に、ブレザーの学生服姿の永源と、詰襟の学生服姿の大熊の2人が同時に声をかけてきた。

「何だよお前ら、またサボり?」

「まぁまぁ堅ぇこと言うなよ。ほら、お前の分もあるから」

 そういってコンビニの缶コーヒーとサンドウィッチを寛至に差し出す。

「他人の部屋で勝手に朝飯済まして優雅なもんだ」

 ベッドから這い出した寛至は、サンドウィッチとコーヒーを貪り食う。

「寛至、お前今日バイトは?」

「ああ、昨日クビになった。このままじゃヤベェから探さないとな」

「マジかよ。まぁその髪じゃ当たり前だけどな」

 ゲラゲラと笑う永源と大熊を尻目に、サンドウィッチを食い終えた寛至は、缶コーヒーを飲みながら2人と向かい合った。

「この部屋がなくなって困るのは、お前らだって一緒だろ」

 中学生時代からパンクロックに夢中だった寛至は、高校に入るとすぐに髪型をモヒカンにした。当時埼玉の片田舎といえば、金髪の人間ですら外国人ぐらいしか見かけることがない時代だったので、学校にモヒカンがバレた途端に教師と揉め事となり、パンチ一発で退学になってしまった。

「さて、そろそろちょっと学校に顔だけでも出してくるわ」

「煙草置いてくから勝手に吸ってていいぞ。帰りに寄るから残しとけよ」

「はいよー」

 寛至は曖昧な返事をして、目の前に置いてあったセブンスターの箱から一本拝借し、紫煙をくゆらせた。

 まだバブルも起きていない1980年代初期、埼玉県の城下町に住んでいた寛至は、高校を退学になったあと、仕方なく隣町にある大手自動車会社の部品組み立て工場で日給¥6000、週休2日、週払いのアルバイトを見つけ働き出した。
 高校を辞めバイトを始めた途端、モヒカンだった髪の毛を真っ赤に染めると、継母を中心として新たな社会が形成されていた実家から、寛至は汚物のような扱いをされ始める。

「これは一人暮らしのできる部屋を探さなくてはならない」

 そう思っていた矢先、毎朝バイトに行く途中に通りかかる不動産屋の店頭張り紙に、まるで寛至のためにあるかのような物件を発見した。

 〇〇駅徒歩5分 木造2階建 6畳1間 風呂なし 共同トイレ 共同玄関 家賃¥1,5000 敷金1 礼金1 管理費 なし

 今ではもうこんなアパートはほとんどなくなってしまったと思うが、1980年代には、埼玉だけではなく東京でも2万円以下で住めるアパートは無数に存在した。手元にあった金は7万円。バイトの帰りに寛至は不動産屋に飛び込んだ。

・ 80年代の高校中退者の仕事事情

 高校に通っていたような十代の若者が一人暮らしなどを始めれば、砂場に磁石を放り込んだかの如く、知り合いの知り合いの知り合いの……というように、色々な人間が出入りをするようになる。

「おい寛至、バイトあるぞ」

 寛至よりも先に高校を辞めバイトを転々としていた正平が、永源と大熊と入れ替わるように部屋に入ってくるなりそう言った。

「またこの前みたいな怪しげなやつじゃねぇだろうな」

「違ぇよお前、今度はちゃんとしたバイト。何たって俺が昨日面接受かったところだからな」

 聞くところによると、郊外の国道沿いにあるラブホテル街に新しくできたホテルで清掃員を募集していて、昨日面接に行った正平が受かったようだった。

「俺だって金髪だし、お前のことも言ったら是非面接に来てくれだってさ」

 時給¥750の8時間労働の日勤か、正社員になり24時間働き24時間休みで月給13万円のどちらかが選べ、食事付きのようだ。

「マジか。お前がいるなら行ってみるかな」

 こうして晴れて新しいバイトが見つかった寛至だったが、勤めてみるとそのラブホテルは、社会の底辺の吹き溜まりだった。
 地元で一番でかい暴走族の総長の彼女と、その友人で中卒の女の子中野ちゃん。家もなく全国のラブホテル清掃を車で転々としている住み込みの老夫婦。交通事故で言語と片足に障がいを負ってしまった30代の男性荒川さん。土日だけくる専業主婦のパートさんに加え、社長夫婦と正平、寛至というメンバーだった。

 寛至が働き始めると、みるみるうちにみんなと仲良くなり、中でも暴走族総長の彼女の友人中野ちゃんと、言語障がいのある荒川さんは寛至の家にまで遊びにくるようになって行った。ある日など、寛至がバイトを終えて家に帰ると、ベッドの上で中野ちゃんと荒川さんが裸で寝ていることもあった。やりたい放題である。

 ほかにも永源や大熊、正平などが連れてくる女子高生や暴走族崩れの不良、荒川さんの友人である右翼を名乗る謎の男小鹿さん、小鹿さんが連れてくるフイリピン人女性のアジャさんとその友人など、寛至の部屋は年齢層や職業が違うどころか、国籍まで違う人々が集まる異様な空間になっていた。

 寛至の部屋の1日は、朝学校をサボった高校生男子から始まり、昼間は仕事をサボった正平や荒川さん、夕方には女子高生とその仲間たち、入れ替わりに小鹿さんや荒川さんに、正平と付き合いのある学生ではない同年代の人間なども集まっていた。その異空間は、家族に見放された寛至にとって、独りじゃないと感じさせてくれる非常に居心地の良い場所だった。

・集合住宅の些細な揉め事

 このアパートは、共同玄関共同トイレ、2階建ての木造アパートで、1階にある1部屋には、このアパートの主である小鉄さんという人が住んでいる。
 2階には3部屋あるのだが、真ん中の部屋は中部屋で窓が一つしかないため入居者がおらず、寛至のほかに文朱さんという母子家庭の女性と、その娘でまだ幼稚園ぐらいの女の子が2階の両端の部屋にそれぞれ住んでいた。

「なんじゃこりゃぁぁぁ!!!どういうことだコラァ!!!」

 ある日の夕方、普段は物静かで怒ることなど滅多にない1階の小鉄さんが、怒声を放っている。腹からこみ上げる怒りが吹き出した小鉄さんの怒声が轟きわたると、古い木造アパート全体が震えた。

「ちょっと寛至君。怖い。何あれ?」

 文朱さんが寛至の部屋にやってきて怯えている。小さい女の子を抱えた母子家庭で、洗濯機の置く場所もないこのオンボロアパートで、1階の小鉄さんの部屋の前にあったスペースに洗濯機を置いていたのだが、洗濯物も取りに行けないほどの迫力で小鉄さんが怒鳴っている。

「俺、ちょっと行って来ますね」

 寛至が1階に降りていき、怒鳴っている小鉄さんに話しかけた。

「ちょっと小鉄さん、どうしたんですか?落ち着いてください」

「どうもこうもあるか!これを見ろ!」

 どうやら洗濯機から水漏れがして、小鉄さんの部屋の前の廊下が水浸しになってしまったようだ。

「ああ、これは大変ですね。すぐ直しますよ」

 見てみると、排水ホースに亀裂が入り水漏れしていただけだったので、防水テープで止めると水漏れは止まった。

「これでもう大丈夫ですよ。でもこのホースは交換した方がいいですね。文朱さーん、ちょっと降りてきてください。もう大丈夫ですから」

 2階から恐る恐る様子を伺っていた文朱さんが降りて来て、寛至が間に入り話をすると小鉄さんの怒りも収まり、後日ホースを交換することで事無きを得た。

 しかしおかしかったのは、あれだけ怒っていた小鉄さんが、文朱さんが降りてきた途端、もじもじして何も話さなくなってしまったことだ。長年の一人暮らしで女性になれていないのか、文朱さんの目をみることもないまま、寛至の説得に応じていた。

「小鉄さん。本当にごめんなさいね」

「あ、いや、はい。いえ、そんな」

 文朱さんに謝られた小鉄さんが真っ赤になっている。

「こんな小さいアパートで3人と文朱さんのお嬢ちゃんしかいないんですから、何かあったら言ってください。俺んちもいつも色んな人がくるんで騒がしくてすみません」

「いいのよ、若いうちは。みんな仲良くっていいじゃない」

「まぁ、夜うるさいわけじゃないしな。うるさかったら言いに行くよ」

 この一件以来、文朱さんはいつも若い寛至のことを気にかけてくれ、現代であれば問題となりすぐに追い出されてしまうような、毎日多人数が集まっている溜まり場のような部屋だったが、文朱さんが大家さんに色々寛至の肩を持って話してくれていたこともあって、大家さんからの苦情もなかったようだ。
 時代背景もあるのか、この大家さんが寛大なのか、家賃さえ払っていれば全く文句を言われることのないことも、寛至には居心地の良いアパートだった。

・限界

 しかしある日のバイト中、ラブホテルの利用客と寛至が鉢合わせし、そのときの寛至の赤い髪の毛にびっくりしたお客さんからホテルにクレームが入り、寛至はあっけなくクビとなる。

「悪いね。俺はいいんだけど、お客さんからのクレームだし、やっぱり赤い髪はねぇ」

 社長もそうは言っているが、元々寛至の風貌をよく思ってはいなかったようだ。この時代金髪の日本人を見ることなど、テレビ中継でやっているプロレスラーの上田馬之助か、ロックバンド亜無亜危異のギタリストである辺見康成ぐらいで、非常に珍しい存在だったため異端として見られていたのだろう。

 いよいよ仕事のなくなった寛至は、アパート家賃の支払いが滞り始める。すると大家さんは、今まで隠していた牙を猛獣のそれのようにむき出しにし始める。

「困るんですよね、知らない人たちに部屋に入られると。あなたに貸したのであって、知らない人に貸したわけじゃないんですからね。家賃がもう2ヶ月溜まってますよ。いい加減払ってくれないと出ていってもらうことになりますけど」

 1980年代初期当時、金髪で雇ってくれるバイトなどそうそうあるものではない上に、寛至は真っ赤なモヒカンで眉毛すら無い。それでもなんとか見つけたバイトもクビになり、家賃も払えずに食事すらまともにとれなくなった寛至は、かなり切羽詰まっていた。

「もう、東京に出るしかない」

 限界を感じたある日、寛至はやってくる友人たち一人一人に事情を説明していった。

「そういうことで、もうこの部屋に住んで行くことは無理になった。すごく楽しくて夢のような時間だったけど、俺にはもうどうすることもできない。ごめんな」

 みんな悲しそうな顔をしていたが、高校生と怪しげな社会人たちに、寛至の生活の面倒を見られる人間などいない。
 アパートを追い出される最後の日、それまで集まってくれていた人間たちで部屋の大掃除をし、いらないものを全て捨てた寛至は、ボストンバッグひとつで東京に向かった。

・ 幸せと豊かさ

 寛至が17歳から約1年間過ごしたこのアパートは、奇跡の時間だったのだろうか?
 鍵もかけずに開けっ放しの部屋に集まる人間たちは、誰も寛至のものを盗むことはなかった。
 溜まっていた洗濯をしてくれた女子高生とフィリピン人のアジャさん、中野ちゃんはいつも部屋の掃除をしてくれた。
 荒川さんと小鹿さんはいつも酒を持ってきてくれ、永源と大熊は高校生のくせに、いつも朝飯と煙草を持って来てくれた。
 正平はバイト先を見つけて来てくれたし、隣の文朱さんは、仕事がなくなり金もなく飯も食えなかった寛至が部屋で動けなくなっていると「作りすぎて余っちゃったから食べてね」と、手作りカツ丼を食べさせてくれた。
 物静かな小鉄さんも、あの一件以来顔を合わせればニコッと挨拶をしてくれたし、家賃さえ払えれば大家さんだって問題なかっただろう。

 集合住宅に住むということの最初がこの経験だったため、寛至はそれ以降東京でも同じアパートの人間には話しかけることが多い。
 うるさい部屋や外国人労働者がたくさん住む部屋、老人の一人暮らしや夜の商売の人たち、同棲カップルや幼い子供のいる若い夫婦、オカマちゃんや障がいを持った人など、様々な人間が集合住宅には住んでいる。

 仏教用語に「一水四見」というものがある。同じ水でありながら,天人はそれを宝石で飾られた池と見、人間は水と見、餓鬼は血膿と見、魚は自分の住処と見るよう、見る心の違いによって同じ対象物が異なって認識されることなのだが、多様性を認め合い受け入れ合うことが、集合体には一番必要なのではないだろうか。

 昨今のタワーマンションや大規模マンションなどでは、住民同士のいさかいも絶えないと聞く。言い合うよりも聞き合うことさえできれば、そんな揉め事が減って行くのではないだろうか。

 寛至の話は極端ではあるが、それはそれは幸せな時間を過ごせたオンボロアパートだったようである。
 寛至のようにとまでは言わないが、言い合うよりも聞き合って、面白おかしい日常で生きていった方が、人間という生き物として幸せで豊かな生活ができるのではないだろうか。


30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!