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「愛してる」に違和感

あなたはこれまで何回「愛してる」と言ったことがありますか?

おそらく「好き」とは言っても「愛してる」とは言わない人の方が多いのではないでしょうか。

私としても覚えている限りでは一度も言ったことはないです。
恥ずかしいというか、しっくりこないというか、とにかく違和感があり、そんな気持ちを抱きながら「愛してる」と言っても台本を読んでいるみたいになってしまいます。なので「好き」とは言っても「愛してる」とは言いません。

とは言え一般的に流通している言葉であり、映画や小説など創作物でも当たり前のように発せられている「愛してる」。
にもかかわらず引っかかる違和感は何なのか。

その答えはこれなのかもしれません。

「愛する」が、日本語の中に定着したのは、そう遠い昔のことではない。精々遡っても、明治時代より前には遡らないのである。
「愛する」という言葉は、西洋文学の翻訳語として使われたのが始まりだと思われる。西洋文学には男女の性愛を中心にして、今日我々が「愛」とか「愛する」とか言う言葉で表現する事柄がフンダンにでてくるが、これに対応する言葉が日本語の語彙の中にはなかった。それで、仕方なく漢語の中から「愛」という言葉を引っ張りだして来て、これに西洋諸国語における愛を現す言葉~英語ならラヴ、フランス語ならアムール、ロシア語ならリュボーフィ~に対応させようとしたわけである。

https://japanese.hix05.com/Language_1/lang186.aisuru.html

もともと日本語、大和言葉として存在してなかった言葉。
だからこそしっくりこなかった……のかもしれない。

「愛してる」に対応する言葉だと「いとおしい」でしょうか。

愛してる……
いとおしい……

うん、やっぱり「いとおしい」の方がしっくりきますね。何より響きが美しい。日本人としてのDNAがそう叫んでいます。

もちろん、あくまで私個人としての感覚なので「愛してる」を日常的に使っている人に対してどうこう言うつもりはありません。
まあ、あまりにも連発するのはどうかと思いますが。





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