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節分に豆まきをしなくていい一族
2023(令和5)年の節分は2月3日。
皆さん、「恵方巻」は食べましたか?
私はお昼ご飯に南南東を向いてがっつりいただきました。
美味しかったです。
さて今回は「恵方巻」のお話……ではなく、節分におけるもう一つの重大儀式である『豆まき』に関するお話になります。
『豆まき』と言えば「鬼は外、福は内」と怒号を発しながら豆を外に内にとまき散らす風習。
時には鬼の仮面をかぶらせた生贄を用意し、それを的にして一年の憂さを晴らすがごとく豆を叩き込むというデンジャラスな一面を見せることも。
そんな心温まる危険な風習に少なからずあがる、
「もう鬼役はこりごりだ」
「後片付けがめんどうだ」
といったネガティブな声。
何とか救いは無いものかと、豆をポリポリかじりながら節分のことを調べるうちに、興味深い一つの話にたどり着きました。
それは、
”ワタナベ”姓の人たちは『豆まき』をしない
という話です。
何故”ワタナベ”さんは『豆まき』をしないのか。
事の始まりは平安時代まで遡ります。
清和源氏の3代目源頼光(みなもとのよりみつ)には俗に頼光四天王と呼ばれる4人の家来たちがいたと言われており、彼らには鬼退治の逸話があります。
有名な話だと「大江山の酒吞童子」討伐でしょうか。
その四天王の一人が「渡辺綱」、つまり”ワタナベ”さんです。
鬼を退治した、すなわち鬼が恐れて寄ってこないから豆をまく必要がない。
だから”ワタナベ”さんは『豆まき』をしない。
というのがこの話由来になります。
1)『新潟県民俗地図』緊急民俗文化財分布調査報告書(新潟県教育委員会/編 新潟県教育委員会 1979)
p46「42.節分」の地図の解説に「表では少ない数しか出なかったが、各地はほぼ共通して渡辺姓の家では豆をまかず、また他の姓又はマキにより豆まきをしないとする村が多い。以下略」
(2)『しただの民俗』堀江長栄/著 堀江長栄 1980)
p89~91「節分」p90「前略 渡辺の姓の家では、昔渡辺綱の鬼退治の古事に則り節分をやらない、又佐々木姓でも豆を撒かない。」(下田(現三条))
(3)『新潟県史』資料編 第23巻(新潟県/編新潟県 1984)
p561~563「節分」内p563「前略 沢崎の浄土真宗の家では、炒った豆を神棚に供えるだけで豆をまかないというし、「佐々木の豆まかず」(小泊)、「斎藤苗字の豆まかず」(泉)、「渡辺姓の豆まかず」(五十里・河原田)、「加藤姓の豆まかず」(波多野町河内)などと渡辺綱の鬼退治や加藤清正の豪放振りなどの話を理由に豆まきをしない家もある。」
(4)『都道府県別日本の民俗分布地図集成』1(天野武/監修 東洋書林 2000)
「北海道」p90「70.節分」の地図の解説に「「昔、鬼退治に行ったのは渡辺姓のものであったから」といって、渡辺姓は豆まきをしない(十勝・音更町(オトフケチョウ)下士幌(シモシホロ))
(5)「大豆から落花生へ--節分豆の変化をめぐる一考察」(池田貴夫/著 『北海道開拓記念館研究紀要』29号 北海道開拓記念館 2001 p109~133)
新潟大学の学生を対象としたアンケートで、p125新潟県新潟市出身「名字が「渡辺」なので豆をまかない。昔、渡辺綱が鬼を退治したので、渡辺という家には鬼がはりつかないという。」p126新潟県中之口村出身「「渡辺」姓のため、昔渡辺という武士が鬼を退治した伝説から、豆をまかないで落花生を食べるだけ。」という記述があります。
結論。
『豆まき』が嫌なら、”ワタナベ”姓になればよい!
結婚するもよし。養子になるもよし。
これでめでたしめでたしです。
とは言え、現代の”ワタナベ”さんが一人残らず『豆まき』をしないわけではないらしいので改姓の際にはご注意ください。
しっかりと下調べをした上、自己責任でお願いします。
ちなみに、「渡辺」「渡部」「渡邊」など漢字はどれでもいいそうです。
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