『罪を憎んで人を憎まず』に異議あり!
昔から『罪を憎んで人を憎まず』という言葉がどうも納得できません。
由来・出典と言われる話を聞いても納得できません。
「そもそも裁判官は被害者ではないし、その家族でもないからそりゃそうだよね」と思ってしまいます。
何故罪を犯した人を憎んではならないのか。
何故罪を犯した人を赦さなければならないのか。
憎しみの連鎖を断ち切るため?
厨二病ですか?
根本となる罪を犯した人が悪いに決まっているじゃないですか。
加害者にも人権がある?
人の命を奪った者、生涯拭い去れぬ心の傷を負わせた者にそんなものはありません。あってたまるか。
罪を犯すに至る環境がある?
同じ環境でも犯罪に手を染めずまっとうに生きている人もたくさんいます。
人が罪を犯すのであって、罪が罪を犯すことはありえない。
「殺人」という言葉が実際に人を殺しますか?
「窃盗」という言葉が実際に物を盗みますか?
人が実行しない限り罪はただの言葉でしかありません。
憎むべきは罪と人、どちらなのでしょうか。
「人を憎んで罪を憎まず」とまでは言いませんが、
「罪を憎んで人も憎む」が綺麗ごとを抜きにした素直な感情だと私は思います。
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