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石川県小松市 安宅の関界隈 見どころガイド


 2024(令和6)年3月25日(月)、「石川県小松市 安宅の関界隈 見どころガイド」の撮影のために、小松市安宅町に行ってきました。能「安宅」、歌舞伎「勧進帳」で有名な「安宅の関」があった場所です。
 能「安宅」や歌舞伎「勧進帳」の物語は、本当にあった話なのか?わからないそうです。織田信長が「長篠の戦」で鉄砲隊を三段にして、武田騎馬軍を打ち負かした話は、後に物語として作られた話で、鉄砲隊をどのように活用したのか?よく分からないそうです。宮本武蔵が飛んでいるハエを箸で捕まえた話も、吉川英治が小説『宮本武蔵』で創作した話です。
 能「安宅」や歌舞伎「勧進帳」の物語は史実はどうであれ、これだけ多くの人々に愛されているであれば、人間の心を掴む何かがあるでしょう。
 石川県には、源義経伝説が多くある土地です。石川県で一番大きな川は、「手取川」です。この川は流れが激しいため、源義経主従は「手を取り合って」渡ったため、「手取川」と名付けられたとも言われています。
 では、本当に源義経は奥州に逃げ延びる際に、石川県を通ったのでしょうか?天下人源頼朝から追討の命が出され逃げるのだから、かなり苦労して逃げたと思います。普通に考えて逃げた道が克明に記録されているとは考えにくいです。後世の人々の創造が大いに含まれていると考えるのが、自然だと思います。
 まだ平家が全盛だったころ、京都で「源義経」と名乗る者が平家打倒を企て放火を繰り返します。「源義経」と名乗る者が捉えられ、平時忠のもとに連れていかれます。平時忠とは、「平家にあらずんば、人にあらず」と言い放った人です。「源義経」と名乗る者は、源行家の息子でした。本物の源義経が、平時忠のもとに行き放火を止めさせるから、源行家の息子を返して下さいと頼みました。平時忠は、それを受け入れ源行家の息子を引き渡しました。しかし平時忠は、家来に源義経を殺すように命令をします。それを聞いていた平時忠の娘夕花は、源義経に暗殺の命が出ていることを伝え、女装をさせて逃がします。逃げている途中に、五条の大橋で弁慶と出会います。999本の刀を奪い取った弁慶は源義経に戦いを挑みますが、負けてしまい家来になります。壇ノ浦の戦いで平家は負けますが、平時忠は文官であったため死罪は免れます。そして夕花は、義経の側室となります。平時忠は夕花と共に、奥能登の珠洲市大谷に流罪となります。
 源義経は、奥州に逃げ延びる際に夕花がいる奥能登に立ち寄ったのではないか?とも言われています。そのため、石川県には義経伝説が数多くあります。
 最後に、「石川県小松市 安宅の関界隈 見どころガイド」の静止画を見ながら終わりたいと思います。

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