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ジジェクの『パンデミック』を読んでコロナへの気持ちの整理が少しついた話

新型コロナウイルスの影響はしばらく続きそうで、いったいどうすればいいのか判然としないまま日々が過ぎていっている気がします。

とくに「新しい生活様式」というやつになんとも言えない気持ち悪さを感じていて、その気持ち悪さの根源がどこにあるのかわからないのがまた気持ち悪いという悪循環に陥っていました。

そんな中で、問題を整理するのに役立ちそうだなと思って手にしたのがスラヴォイ・ジジェクの「パンデミック」です。実際とても面白かったし、ちょっと気持ちも整理できたので、そのことを書いてみたいと思います。

スラヴォイ・ジジェクとは

スラヴォイ・ジジェクのことは現代思想をかじったことがある人なら名前くらいは知っていると思いますが、私は映画関係の著書(『斜めから見る』『汝の症候を楽しめ―ハリウッドvsラカン』)から入って面白いなと思っていたので、そのジジェクがパンデミックについて素早く本を書き、それが素早く翻訳されたことで興味を持ったわけです。このもやもやをジジェクなら深いところから晴らしてくれるのではないかと。

ジジェクを理解するには、マルクスやヘーゲル、ラカンあたりを理解していなければならないのですが、今回の本に関してはそのような思想的/精神分析学的バックボーンは必要とせず、考える力さえあれば今を考えることができる本になっていました。

ただ、最後の章だけは哲学者のプライドなのか、どうしても書きたくなってしまったのかはわかりませんが、かなり難解で私には理解できませんでした。でも補遺のさらに後の章なので、分かる人だけわかればいいよということなのだろうと思って投げ出しました。

そんな読み方だということをわかっていただいた上で、いろいろ感想を書いていきたいと思います。

新しい「日常」

最初の章にいきなり出てくるのが

古い生活の廃墟の上に、新しい「平常」を構築しなければならなくなるだろう。

という言葉でした。

ジジェクはヨーロッパ在住なので、日本よりも生活の壊れ方が激しかったのだとは思いますが、それとは関係なく、コロナウイルスによってこれまでと同じ生活は送れないというのが世界中の人々の共通した感覚なのではないでしょうか。

その中でどうするか考えたときに必要なのは「廃墟の上に構築すること」なのです。日本政府が提示する「新しい生活様式」はそうではなくて、古い生活様式の中でできないものをやらないようにするだけ。新しいと言いながら何も新しいものはなく、何も構築されていないのです。

私が感じている気持ち悪さの元凶はそのあたりにあることがわかりました。すべてがみんなに我慢を強いる後ろ向きな考え方で建設的な話がなにもないこと、それが気持ち悪かったのです。

じゃあどんな生活様式がいいんだという問いに対するはまだ出ていません。でもどういう方向性に進むべきか考える材料もジジェクは提供してくれます。

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Photo by Bram van Geerenstein on Unsplash

世界の協調と「共産主義」

ジジェクはパニック映画を例に上げ、そこに「全人類が協力するユートピア」を見ます。パンデミックに対する正しい解は「パニックではなく、効率的な世界の協調を打ち立てるという、難しいが急を要する作業である」というのです。

これにはうなずけるところがあります。私もコロナ騒ぎが始まった頃に『メッセージ』を見て同じようなことを思ったのです。

ただこれはあくまでユートピアの話なので、現実的にはどうすればいいのか、その疑問には「市場メカニズムに振り回されない世界経済を再組織化する差し迫った必要性を、鮮明にしているのではないか」と答えます。

なぜここで市場メカニズムが出てくるかと言うと、市場メカニズムは効率化を求め、協調にはつながらないからです。そのことが今回のコロナで鮮明になりました。ジジェクはこうも言います。

マスクや検査キット、人工呼吸器と言った緊急に必要なものの製造を調整したり、ホテルやリゾートを差し押さえたり、新たな失業者全員に最低の生活を保証したりなど、国家はもっと積極的役割を担うべきであるだけでなく、これらすべてを市場メカニズムから離れて行う必要がある。

ジジェクはさらに「市場の国際化の限界、愛国主義ポピュリズムのもっと致命的な限界」と言っていて、それに対して「世界的な連帯や協力がいかにわれわれすべての、ひとりひとりの生き残りの利益にかなうか」と述べています。

簡単に言うとジジェクが目指すのは「共産主義」(カッコつきの共産主義)です。本の全体を読んでもそれが具体的にどういうものなのか判然とはしなかったのですが、従来言われている(例えばソ連や中国のような)共産主義ではない本来の意味の共産主義、人々が連帯し協力する社会のことだろうと思います。

私たちがやるべきこと

観念的にはジジェクの言うことはわかりますし、それはコロナウイルス以前から言われていた新自由主義あるいは金融資本主義の限界、グローバルからローカルへとほぼ一致していることもわかります。

ただ、この制限された日常の中で私たちは具体的に何をすればいいのでしょうか。

終盤の第10章にこんな言葉がありました。

明白なことがあと2つある。一つは、制度化された保険医療制度は、高齢者や弱者のケアを地域のコミュニティーに依存せざるを得なくなること。もう一つ、天秤の反対側にあるのは、リソースの算出と共有のため、何らかの有効な国際協力を組織しなければならないことである。

これはコミュニティの強化とその国際的な連携の話です。

私にとっては耳にタコができるほど聞いている話ですが、グローバルな市場経済から抜け出してサステナブルな社会を作るには、この方法しかないのかもしれません。

10章まで読んでみると、コロナ以前でもコロナ以後でも目指すべき社会は同じであとは行動するだけだと言われているようで腰が重い私は特に気が晴れるわけでもなく、コロナ以前の息苦しさを再認識しただけのようにも思ってしまいました。

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Photo by Zhuo Cheng you on Unsplash

でも、ジジェクはコロナウイルスによってそのような未来は近づいたと考えています。多くの人がその必要性に気づいたのだと。

それであれば嬉しいしコロナ以前よりも生きやすい世の中になるかもしれないと希望が持てます。

その上で私たちがやらなければならないことは何か。ジジェクは補遺の中で明確に言っています。

主要な任務は、安定した意味ある形で日常生活を構築することである

と。

これからもいろいろな困難に直面すると思いますが、その局面局面で、安定した意味ある日常生活を構築するためにどうしたらいいかを考えそれを実行すること、それが私たちがやらなければならないことなのです。

先日、コロナとは関係なく祖母の葬儀がありました。でも感染拡大の流行で地方から親類を招くことははばかられ、身内にも高リスクの参列者がいて多くの人を呼ぶことが難しい中で数人で祖母を見送りました。

新しい日常における葬儀の形とはどのようなものになるべきなのでしょうか。コロナ以前から死や葬儀の意味は問い直されていました。でも、実際このような形の葬儀を行って、本当に根本から考え直さないといけないところに来ているんだと実感しました。

同じようなことがあらゆる場所で起こっているのです。

いまホットなGO TOについてもそうです。ジジェクはこんな事も言っていました。

観光業に従事する人たちのように、少なくともしばらくは、食も目的も失われる数千万人のことを考えてもみよ。その人達の運命を単なる市場メカニズムや、一回限りの景気刺激策に委ねることはできない。

東京を除外するとかキャンセル料を補填するとかを考えることも必要ですが、そのようなドタバタが起きてしまうのは、新しい観光の形が見えていないからです。withコロナの世の中で観光はどのような形を取るべきなのかが示されなければ何をするのが最適なのか判断することはできません。

それがあらゆる場面で起きています。私たちはその一つ一つについて考えなければならないのです。

なんだか言いたいことの半分も言えていない気がしますが、私の感想はこんな感じです。他にも環境問題やら、心理学的アプローチやら面白いことが色々書いてあるので、コロナに言いようのない不安を感じている人は読んでみてください。

Top Photo by Jonathan Borba on Unsplash

【7/29追記】
続きめいたものを書きました。本の話というよりは本を読んで気づいた自分のコロナの受け入れ方の話です。



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