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鈴木貫太郎

8月15日が近づくと鈴木貫太郎首相を描いた本を読みたくなる。昭和20年、今日から「日本で一番長い日」が動き出す。

映画にもなった「日本のいちばん長い日」(8月15日のこと)の中心人物である。

昭和天皇から厚い信頼を得ていた鈴木貫太郎は、昭和20年の4月に77歳で総理大臣を東條英機から引き継いだ。日本の敗戦は逃れようもなくなっていたが、軍部は本土決戦で巻き返そうとしていたし、民衆もその言葉に引きづられるように思考を停止し「一億総火の玉」のスローガンのもとに暮らしていた。東條英機は戦争指導の責任をとってやめるが陸軍はあくまで戦争継続をとなえるために組閣ができない。天皇は自分が一番信頼していた鈴木貫太郎に直接大命をくだす。陸軍も有無を言えない。天皇の若かりし頃に鈴木貫太郎は侍従長をしていたのだ。

77歳という年齢での総理大臣は今になっても最高齢だ。鈴木は拒み続けたが、天皇がじかに頼んだことが記録に残っている。「鈴木の心境はよくわかる。しかし、この重大なときにあたって、もうほかに人はいない。頼むから、どうか曲げて承知してもらいたい」

鈴木貫太郎は元海軍大将で連合艦隊司令長官にまでなった軍人ではありたくさんの武功をもっている。東條英機から内閣を引き継いだ時に、国民に気を引き締めて決戦にそなえようというメッセージを出す。それは本意ではないが、そのメッセージを出さなければ内閣総理大臣として動けない硬直化した政治背景があった。秘密裏に終戦工作を重ねる。・・・それから4ヶ月。密かに終戦への道をすすめたのだ。沖縄戦があり、ヒロシマ、ナガサキの原爆を経ることになったが8月15日に終戦の幕引きをする。

硬直化していた日本の政治を77歳の老首相が終戦へと導いてくれた。鈴木貫太郎がいなかったら終戦はまだ先に伸び、本土決戦まで進んだのではないかと思う。彼の信念は戦争継続ではなく次の言葉にある。

「戦争に負けるということは、国が滅亡することではない。国民が健在である限り、必ず国家は復興できる」

そんなことを考えながら、この時期になると鈴木貫太郎の生き方に思いをはせる。


日本のいちばん長い日 運命の八月十五日

半藤一利
文春文庫 1995





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