杉田庄一物語その4 第一部「小蒲生田」下保倉尋常高等小学校
昭和十二年(1937)三月、杉田は中保倉尋常小学校を卒業し、顕聖寺地内にある下保倉尋常高等小学校に進む。この頃のことであろう、少年倶楽部に載っていた南郷茂章の活躍を読んで海軍戦闘機搭乗員に憧れ、桐の板を削って二枚翼の戦闘機の模型を作っていたのを弟の建吉が覚えている。
一月前の二月、山本次官の強い要望で米内光政連合艦隊司令長官が海軍大臣に起用された。米内は政治に関わることが嫌いで拒んでいたが、山本の熱意に負けた形になった。自身が全身全霊で取り組んだロンドン海軍軍備制限条約