石川 裕貴

弘前大学大学院地域社会研究科(後期博士課程)在学中、ピティナ音楽研究所(PTNA Re…

石川 裕貴

弘前大学大学院地域社会研究科(後期博士課程)在学中、ピティナ音楽研究所(PTNA Research Institute of Music)音楽教育研究室研究員、埼玉県公立中学校音楽科教諭。音楽教育の研究と実践を行っています。

マガジン

  • 音楽哲学

    音や音楽とことばの関係を視座とした哲学・思想にまつわるエッセイ集。

  • 音楽教育学

    近代哲学や現代思想,教育実践を視座とした音楽教育にまつわるエッセイ集。

最近の記事

〈音楽/言語〉の〈脱構築〉

1.〈根源〉,〈差延〉,そして〈戯れ〉 気付けは,前回の投稿からだいぶ時間が空いてしまった。今回の投稿は,前回の投稿の続きとなるので,前回の投稿をまだお読みでない方は,下記の投稿を是非ご高覧いただければ幸いである。  フッサールの思想は,はじめに〈根源的直観〉があり,それを〈言語〉が写し取るという構図であった。しかし,デリダはこの根源的とされる〈意味〉が,すでに〈言語〉によって浸蝕されていると主張する。デリダは,『声と現象』の中で次のように述べる。  また,デリダは,幾何

    • 音楽の現象学的還元

      1.伝統的認識論の否定 前回の記事で述べたデカルトからカントに至るまでのそれぞれの思想は,〈認識〉を考えようとする際,まず客観的な「世界」が存在し,それを〈意識〉がどう受け取るのか,という順序で考えようとしてきた。しかし,フッサールはこの順番に問題があると指摘する。フッサールは,『デカルト的省察』の中で次のように述べる。  「伝統的認識論」とは,上記でも述べたような,はじめに「世界」という客観物が存在し,その中に人間が生まれて,この客観物としての「世界」を〈認識〉していくと

      • 認識論からみた音楽

        1.〈認識/対象〉 〈音楽〉を〈言語〉によって言い表そうとすることは,〈対象〉としての〈音楽〉を〈言語〉に内包される「意味」によって〈認識〉するという行為だと換言できる。この「主観としての〈認識〉と客観としての〈対象〉を一致させること」という二元論は,実はデカルト以降の近代哲学における最も根本的な問題だった。 2.デカルト,カントの二元論 近代哲学の祖デカルトは,「〈認識〉と〈対象〉の一致」を〈神〉という完全なる存在によって保証されていると考えることで,この問題を解決しよう

        • 芸術摸倣説

           ヒトが生まれるはるか以前から存在していた「音」から奇跡的に〈音楽〉と〈言語〉が誕生し,西洋哲学の世界では,〈言語〉が〈音楽〉の上位概念として存在してきた,ということは,前回の記事で述べた通りである。今回は,そのことついて,もう少し詳細に述べていく。  古代ギリシア人は,〈芸術〉を「摸倣(ミメーシス)」とし,「現実の模写である」と考えてきた。この〈音楽〉を含めた〈芸術〉について,その有用性や真実性を疑うプラトンや,医学的な価値を見出すアリストテレスなど,これまでにさまざまな

        〈音楽/言語〉の〈脱構築〉

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        記事

          音楽の反解釈

          1.二つの奇蹟 これは,弘前大学教育学部教授である今田匡彦の著書『哲学音楽論:音楽教育とサウンドスケープ』の序章の冒頭である。なるほどヒトが生まれるはるか以前から世界中にはたくさんの音が存在していて,どういうわけかそこから奇蹟的に〈音楽〉と〈ことば〉が誕生したらしい。この二つの奇蹟は,実は西洋の歴史に立ち返ると,〈ことば〉が〈音楽〉の上位概念として存在してきたことが分かる。  西洋哲学では,世界のあらゆる事象の普遍,原理を〈言語〉によって追求し,意味付けようとしてきた。故に

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