本質を見極める力はどうやったら養えるのか?

のりたけさんから頂いたお題。

最近考えてることは、「本質を見極める力はどうやったら養えるのか?」ということです。
同じ事案を見ても、勘所をつかむのが上手い人、なかなか核心に近づけない人がいます。
それって経験なのか、いわゆる「センス」なのか…。

こういうお題は、緊張しますね。。。だってこれ書くってことは「僕は、本質ってことを分かってますよ」ってなるわけですからね汗

ホントに僕が本質を分かっているかどうかはさておき、考察を試みてみましょう。

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「核心」という言葉で思ったんですが、ものごとの本質を掴む、みたいなことは「全体像の重心を掴む」「核心を掴む」みたいなことだったりするんじゃないのかなと。

一次元(線)上の重心はどこにあるのか。

スライド1

この次元でモノを見ている人にとって「本質(重心)」はここにあることにあります。

でも次元が増えて、もっと多次元的に、多面的に考えると重心の位置も変わってきます。

スライド2

対象物を二次元に捉えられている人からすると、重心の位置は変わってくるでしょう。もちろんこれが3次元になっても変化します。「深さ」みたいな感覚も出てくるでしょう。

スライド3

物事の本質(重心)を見極める、という時に、そもそもその”物事”をどれだけ多次元的に捉えているかで、重心の位置も変わってきます。

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ここまで抽象的に話をしましたが、「今期の売上が足りない、どうしよう」という分析と「売上低下は、大きな社会現象の構造の中で起こっている」という分析があった時に、

後者の方が「本質を見極めている」と一般には言われることが多いと思います。それは、見ている視野の広さ、捉えている変数の多さから「その問題の本質(重心)はここなんだ」ということに、奥行きや深みがあるからだと思います。

「ある商品の売上の前年同月比」だけを見ている人と、

「ある商品の売上の前年同月比」「他商品の売上動向」「他業界の売上動向」「10年単位での業界動向」「社会全体のライフスタイルの変化」「100年単位の歴史の流れ」などを見ている人だと、

「ここが本質」と思う位置が違ってくるわけです。そして、ほとんどの場合は、後者の人が指摘する「ここが本質」の方が、より本質的に感じられるのだろうと思います。

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でも「本質的かもしれないけど役に立たない話」には注意しないといけません。

とっても博学で知識抱負、いろんなことを知っていて「本質」をつくのもうまい、、、、けど、その人の話は役に立たない、ということはあるだろうと思います。

「・・・・ということで、日本政府が変わらなければ、この問題は解決しないんだよ」と言ったところで、「今期の売上足りない、どうしよう」という話にはほとんどなんの役にも立ちません。

その人は多面的に考えられているかもしれませんが、何か大切なことが抜け落ちているわけです。

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鳥瞰、俯瞰して、多面的に状況を観た上で、もう一度虫の視点をもたないといけない。そこを行ったり来たりしないと、本当の本質的な話にはならないのだろう、と思います。

本質をつかむ、見極めるためには、多様な観点からの検討といったことが必須だと思いますが、その中でどうしても外せない要素として「私」や「私達」といった主語、能動性、関与、といったものがあると思います。

これが抜け落ちた「俯瞰された分析」は、どこか他人事で、評論家的で、当事者にとっては鼻につくものになる、ということもあるかと思います。

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「本質を見極める力」について考えてみたので、今度は「どうやったら養えるのか」を考えてみたいと思います。

物事の本質(重心)を掴むのが、どれほどそのものごとを多次元的に捉えられるかにかかっているのだとしたら、自分の中の多次元性を高めることが、その方法だ、ということになります。

例えば「リモートワークが増えた」という事象。

その事象の本質は何だろうか?それを見極めようとするときに、

国語的次元、数学的次元、英語的次元、理科的次元、社会的次元、体育的次元、家庭科的次元、美術的次元・・・などから探れる人は、より深い本質のようなものを探りやすいだろうと思います。

だから、小説しか読まない人よりは、論文も読む、英語も触れる、スポーツもする、歌うこともするし、家事もする・・・というような人の方が、本質(重心)、核心を掴むのが上手だということになります。

そういうのを”教養”と言うのかもしれませんが、一見、目の前の事象に直接何の役にも立たないようなことを、自分の中に蓄積していくことが「どうやったら養っていけるのか」への一つの回答かなと思います。

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一方で「一つのことを突き詰めて掴んだ本質が、他領域にも生かされる」という側面もまたあると思います。

スポーツを極めたアスリートが、音楽を追求した歌手と、「わかる、わかる」と相通ずるようになっている・・・といった場面をしばしば見ることがあります。

これは、前述した「主語、能動性、関与」ということも関わってくると思いますが、

本質というのはたぶん「理解する」というよりも「体得する」ところがあるのだと、僕は思います。

「体得する」という時に、スポーツの練習や、楽器の練習などは、相似形を持っているのだろうと思います。だからこそ、それぞれ別の道だけれども、道を極めようとした人たち同士は、どこか通ずるところがある、ということが起こるのだと思います。

お題に戻って「どうやったら養われるのか」と考えると、ただたんに知識を脳みそにインプットするだけでは、足りないところがあるのかもしれません。

本質を見極める力を養うには、「目の前のことに、自分事として、とことん向き合う」といった経験をどれだけ積み重ねてきているか、それによっても差が出そうに思います。

そういう意味では「経験値」がモノを言うところがあるかもしれません。そういう経験を10回してきた若者と、2回してきた老人とでは、10回してきた若者の方が「本質を見極める力が高い」ということはあるのだろうと思います。

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組織開発が専門。主な興味は、対話、コーチング、ファシリテーション、ポスト資本主義、ABC理論、禅宗、量子力学、キャリアデザイン、ヒンズー教、臨床心理学、学習する組織、成人発達理論、ポジティブ心理学、リーダーシップ、ビジョナリーカンパニー、ホラクラシー経営、複雑系、自己組織化など。