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「タマシイのバトン」 (リーグ第19節・アルビレックス新潟戦:2-2)

 試合時間はすでに100分を超えていた。いつタイムアップの笛がなっても不思議ではないタイミングだった。

 ボールを抱え込んだアルビレックス新潟のGK小島亨介が高く、高くボールを蹴り上げる。1秒でも時計の針を進めたい。そんな思いがこもったロングキックだ。

 このボールを落下地点で両チームの選手が競り合った次の瞬間、笠原寛貴主審のホイッスルが鳴り響く。

 ホームチームを応援しているサポーターのエリアは、試合を告げる笛だと思い込んだのか、大きな歓声が沸いていた。

アディショナルタイムの決勝弾による逆転勝ち。この日、デンカビッグスワンスタジアムを埋めた観客数は33,885人。これ以上ない、会心の勝利となるはずだった。

 ところが、笠原寛貴主審は片手を挙げるジェスチャーをしている。
つまり、オフサイドの笛を吹いたに過ぎなかったのだ。まだ試合は終わっていなかった。

川崎フロンターレの瀬古樹がすぐに再開のボールをセットし、最後の願いを繋げる。逆に新潟の選手たちは、勝利を確信したスタジアムの雰囲気もあってか、ほんの一瞬だけピッチで気を緩めたようにも見えた。

 最後尾にいるチョン・ソンリョンが祈りを込めたようなロングフィードを前線に届ける。ボールはパワープレーで前線に残っていたジェジエウに向かっていき、ペナルティエリアまでぐんぐんろ伸びていく。そしてそれは、GK小島亨介が前に飛び出しにくい、絶妙なエリアに落ちるボールとなった。

「相手の守備が簡単にはヘディングできないコースを狙って蹴りました」

 試合後、あの軌道の狙いをソンリョンに聞くと、そう明かしてくれた。新潟の守備陣は後ろ向きの体勢になっており、背走しながらのヘディングになった舞行龍ジェームズのクリアボールは、前ではなく後方に飛んだ。

 そこに素早く反応したのは、今季リーグ戦初出場だった宮城天。左足を懸命に伸ばしてボールを中央に折り返す。左内側半月板損傷の手術から復帰した生え抜きは、その完治したばかりの左脚に思いを託して、ボールをゴール前に届けた。

 そこで待っていたのは山田新。
川崎フロンターレのアカデミーでは宮城の一歳先輩である。天皇杯では共演しているが、J1の舞台で同じピッチに立ったのはこれが初めてだ。アカデミー時代からよく知る先輩ストライカーは、宮城天ならば折り返してくれるという予測があったと話す。

折り返しが来る準備はしていましたし、天がうまく折り返してくれた。ああいうところの能力は高いし、クオリティもある選手。まず自分を見てくれる。あれは折り返しただけかもしれないですけど、普段から自分の動きを見て出してくれるので、そこは信頼して入れたかなと思います。押し込むだけでした」

 山田が見事に捉えた左足のボレーシュートが、小島亨介の右手をかすめてゴールネットを揺らす。相手GKの位置や動きはまるで見えていなかったという。ただ、しっかりとボールに当ててニアサイドに流せば決まる。そう確信してボールをミートした。

「GKは見えていなくて、とにかくニアに押し込めれば入ると思っていました。反応したというだけです」

 起死回生の同点弾。チームメートに抱きつかれた山田新は咆哮し、何かを叫んでいた。揺れているアウェイエリアの一角とは対照的に、勝利を確信していたホームスタンドは静まり返っていた。

 試合後のミックスゾーン。
テレビの取材を終えた山田新がペン取材のエリアにやってくる。自分が尋ねたのは「アディショナルタイム終盤に逆転された後、何を思ったのか」だった。

 彼は「みんな思ったと思いますけど」と前置きして、「ゴールを取るしかないと思いました」とストライカーらしい言葉で切り出し、その思いを話し始めた。

「このチーム状況でサポーターもたくさん来ていた。あの負け方だけは許されないし、してはいけないという思いがみんなあったと思います。とにかくゴールを奪うことしか考えていなかった」

 いろんな思いも乗せて決めた、執念の同点弾。
何より本当に苦しい試合だった。そんな試合で、プロ2年目の選手がゴールを決めた事実が頼もしい。

 プロ2年目といえば、この日、キャプテンマークを巻いて先発を飾った小林悠がブレイクしたのもプロ2年目だった。

 その2011年に、ゴール前の嗅覚によりワンタッチゴーラーとして得点を量産し、リーグ12得点を記録。チームは8連敗を喫するなど、いつになく苦しい時期を過ごしたが、そんなチーム状態での数少ない希望が小林悠だったのを思い出す。

 奇しくも、この日は小林悠と交代する形で、山田新はピッチに入っている。

 試合後のミックスゾーンでの小林は、山田と交代する際に、ある言葉をかけていた。そして、若い頃の自分と重なる部分があることも話し始めている。

※6月24日、第20節の湘南ベルマーレ戦に向けたオンラインの囲み取材がありました。

 対応したのは遠野大弥と鬼木達監督です。
遠野大弥に関しては、フルタイムでピッチに立ち、チーム最多のシュート7本を記録。走行距離は12.6kmと第19節のリーグ全選手でトップの数字を叩き出しています。試合でも奮闘しており、このゲームを語る際には欠かせない選手でした。にもかかわらず、彼の試合後の談話は世に出ていません。疑問に思った方も多いかもしれません。

 なぜだったのか。
その話とともに、この走行距離に関する本人の感想や、鬼木監督が評価している部分などをコラムにしています。そして自身の走力の原点であるHonda FC時代のエピソードも紹介しておきますね。

■(※追記:6月24日)「僕自身は、相手にボールを持たせていたという感覚があったので、そんなに走っていないのかなって最初は思ったんです。ただ今日、練習場に来てスタッツを見たときに結構走っていたので」(遠野大弥)、「簡単ではない仕事をやってくれたという印象がありますね」(鬼木監督)。走行距離ランキングトップを記録。走ることについて語る時、遠野大弥が語ったこと。そしてプレースタイルの原点でもあるHonda FC時代の走力秘話。


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