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臨床心理学的事実・人は死を受容しない

インターネットはさまざまな素人意見が飛び交ってしまう場ですので、
ここで一つはっきりさせておきたいと思います。


E・キューブラー・ロスが、人の死に対する
心の動きを「喪の仕事(Grief Work )」
という概念でまとめ、

そのプロセスは五段階
(否認、怒り、取引、抑うつ、受容)
と提唱したのは1960年代後半のことでした。


現在までに、人の死に対する心の研究は進み、
ロスの五段階説はすでに否定されています。

(もともとロス自身も、全ての人に当てはまるとは言えない、としていました。)


現在は「Grief Work 」と言うことは少なく

「Grief Process (悲嘆の過程)」

と言うことが多いです。

なぜなら、グリーフは
「一生涯終わることの無いプロセス(過程)」
だからです。

(Griefは「悲嘆」とだけ訳さないほうがいい。ずっと悲しんでいるわけではないから。
グリーフ、とそのまま言うほうが意味を広くできます)


米国ポートランド州にある、親を失った子どもの心のケア施設「ダギーセンター」では

「Grief never ends」

(グリーフは終わらない)

と表現しているそうです。

そういうふうに教えてあげないと、
「早く死を克服しなくちゃ」と
間違った努力をしてしまう人がいるからですね。

死は、克服できません。
しなくて良いのです。


私の父母は二人とも癌で亡くなりました。

父は20年前に亡くなっていますが、今も
父の夢を見ます。

母のほうは近年に亡くなったので
母の夢を見るどころか、母が居ないという
事実に号泣して目覚めることすら
あります。

しかし私は、それがプロセスだと知っているので、
身支度を整え、日常を送ります。


夢の中で「これは夢だ」と気付くことを
「明晰夢」
と言いますが、私の場合
亡くなった家族(父母と祖父母)の夢では
この明晰夢の現象が、なぜか多いです。


先日は、母がもうすぐ亡くなるという夢で
家の中に闘病中で寝たきりの父がおり
私は夢の中で
「お母さん、まだ死なないで!
お父さんの世話を私一人でするのは大変すぎる!」
と考えていました。

しかし夢の中で私は
「いや違う。父が死んだのが先よ。母が死んで父が残るわけないわ」
と気付き、これは夢だとわかりました。

それで、夢の中で寝たきりの父に向かって

「お父さん、この家にいるのね。
次は、元気な姿で出てきてね。」

と語りかけました。


まだ幸いなことに、親しい身内が亡くなった経験の無い人には、ピンとこないかもしれません。

が、
私たちは死と共に生きています。
死者と共に、生きているのです。


私は夢の解釈も出来ますが、父母の夢はあまり解釈しません。

なぜなら、それは

「死んでほしくなかった」

という極めてシンプルな願望に行きつくだけ
だからです。

生きていくことは、グリーフ・プロセスそのものです。

死に接すると
自分が変化することを感じるでしょう。
それがグリーフ・プロセスです。

グリーフは抑圧しないようにしてください。

死と共に生きましょう。

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