見出し画像

自分らしくいたい私vs注目を集めたい私

2024年は月一でnote更新したいな〜なんて思っていたけど、どうしても日々に一生懸命になっていると、文章を書くことの尊さを忘れてめんどくさくなってしまう。
さっきオードリー若林のエッセイを読んでいて、文章っていいなぁと感化され、まんまとキーボードを叩いている。更新するきっかけなんて、いつも些細なことだ。


転職して4ヶ月がたった。新しいコミュニティに属するといつも思うことがある。
自分って注目されてないなぁ。

前にも「自分らしさへの固執」という記事の、小学生時代のエピソードの中で、

机の周りに人が集まってくるような人気者に憧れを抱いた。それと同時に、私は”そのままの自分”だと人気者になれないと悟った。

と書いたのだが、今までの人生ずーっとこの感覚がある。

学生時代と違ってハブかれる訳ではないし、ずっと集団で行動しないと不安になるみたいな感覚はなくなった。でも今だに自分はあまり目立った個性がなく(正確には一般ウケしてかつキャラ立ちできるような個性がなく)、「ありのままの自分でいると人は自分に興味を持ってくれない。それが不安。」という感覚がずっとある
コミュニティの中で自分はどういうみられ方をしているのだろうかということを、人よりも考えすぎだとは思う。もうアラサーなので自意識過剰であることはさすがに自覚している。
逆に悪目立ちするようなこともないので、いじめられたり人が遠ざって行くような経験もない。あえて陰キャ・陽キャで分けるとしたら、どちらでもなく無キャだと思う。

小学生の時点で天然で人から興味を持たれる人にはなれないことを悟り、学生時代は普段の自分よりもテンションを上げてクラスの一軍とつるんだり、勉強や運動の順位を上げるなど、自分なりに注目される方法を模索した。
人生のステージごとに注目される人物像は変わっていくので、自分のキャラもころころ変わっていった。ずっと架空の理想像を追いかけて生きてきた。
大学院生の時、そんな芯のない生き方に嫌気がさし、初めて自分らしさや今自分が楽しくいることを軸とした生き方をしようと決意した

社会人になり、1人行動を増やし自分らしさを突き詰めていった結果、1人でいると本当に楽しく感じられるようになったものの、自分の関心ごとと一般的な関心ごとの乖離を感じている。
会社で自分の個性を出しても結局誰も関心を持ってくれないと感じるし、仕事の出来においても良くも悪くも目立つところがない。まさしく「器用貧乏」って言葉が似合う。
天然でいじられキャラなのに仕事は優秀な新卒の子に嫉妬したりしている。5個も年下に・・・なっさけない。


そもそもタレントでもないのに人から注目を集める必要なんてないんだよ。
それは重々分かっているのに、人と比較しキャラ立ちしたがる。この性分はどうしたら良いものか・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?