自分らしさへの執着
突然だが、私は比較的社会性のある人間だと思う。
だからこその人生の苦悩を記したいと思う。
社不な家族
私の両親は自営のデザイン事務所をやっている。
フリーでやってることと広告系の職業柄が相まって、家族の雰囲気は自由で格式張っていない。よく言えば自由で先進的、悪く言えば社不だと思う。
東海出身の両親は、名古屋や東京などの都会で働いたのち、移住ブーム到来前から埼玉の田舎町に移住した。土地にも縛られていない。
サラリーマン一家とは異なり、子供ながらに親はいつ仕事をしているんだろうというくらいずっと家にいたし、たくさん家族旅行に行った。
時間や場所の拘束が少ないフリーの仕事は、子供にとっても悪い印象ではなく(フリーならではの苦労もあるのは承知の上だが)、仕事や生き方の選択肢の一つとして、”フリーランス”が頭の片隅にある。
両親や弟を見ていると、自分は結構社会性があるなぁと思えてくる。
みんなそれぞれ飛び抜けた才能はあるが、学校や社会で「優等生」「優秀」と言われるタイプではない気がする。
むしろ少し厄介者扱いされるタイプ(イメージは相棒の右京さん)。
そんな変な家庭で育ったが、私はいたって普通のサラリーマン向きの性格をしている。
注目されたかった学生時代
私の子ども時代を振り返って、見事に社会化されていく過程を説明しようと思う。
私は長女で両家の初孫でもあったので、それはもう親戚中から可愛がられて育った。
幼稚園で初めて家族以外の世界に触れて、とにかく怖くてよく泣いていたことを覚えている。3月末の早生まれということもあって、同級生の友達でありながら、お兄さんお姉さんに守ってもらっている感覚もあった。
小学校に入り、ますます家族以外の環境にいる時間が増えて、学校に行くのが嫌だというほどではないが、学校では本当の自分を出せていない感覚があった。学校での自分と家での自分を切り替えていて、家での自分の方が本当の自分だという感覚があった。
学校やクラスという小さな社会の中では、人気者とそれ以外が存在する。今思うと大したはことないことだが、子供にとっては重大なことだった。
私は、机の周りに人が集まってくるような人気者に憧れを抱いた。それと同時に、私は”そのままの自分”だと人気者になれないと悟った。クラスの人気者とつるむなどしながら、自分はどうしたら注目されるかを模索した。自分らしくいられる家での自分と、注目されたい学校での自分とのせめぎあいだった。
中学校に入って、テストの順位が公表されるようになった。今まで勉強はそこそこできる程度だと思っていたが、意外にも初回のテストの結果は、学年2位だった(学年1クラスの小さな学校だったが・・・)。クラスのみんなが私に注目してくれて嬉しかったので、次のテストでもっと頑張ったら、1位になった。運動神経も良く、特に得意だったマラソン大会でも1位をとった。
順位づけして人よりも上であることの快感を覚え、それが自分が注目される術であり存在意義だとさえ思った。もう自分らしさや自分の好きなことよりも、努力して注目されることの方が大事になっていた。
この時期はちっとも楽しい訳ではなかったし、この成功体験がその後の人生をちょっと狂わせた気がする。
余談だが、弟は勉強や部活などの学校の規範自体に反抗心があったが、私はそんなことを一切考えたことがなく、違和感なく順応していた。その時点で、悲しくも根っから社会の歯車に向いている性格をしているのかもしれない。
順風満帆(?)な中学校生活を終え、県内有数の進学校に入った。田舎の小さな村社会で調子に乗っていたが、上には上がいることがわかり、授業にもついていけず、最初はふてくされていた。でも、あまりにも勉強へのやる気を失った私を見かねた高1の頃の担任の応援のおかげもあり、頑張る意欲を取り戻し、また同じようにクラスの上位を目指す日々が始まった。そのまま受験まで走り抜け、第一志望の大学に余裕を持って合格した。
この頃には自分を精神的に追い詰めて努力するやり方が染み付いてしまっていて、今振り返るとあまりにも持続可能なやり方ではないと感じる。
大学に入ってからは、受験生が終わった反動と目標を失った喪失感で、1〜2年は遊び呆けていた。専攻していた社会学には熱中できず、単位を落とさない程度に遊んでいた。大学では勉強やスポーツができることよりも、友達が多いことが人から注目されるポイントだった(特に文系の学部においては)ので、友達をたくさん作った。友達を作るコツを得て友達を作っていた。この頃の友人から言われて印象的だったのは、「この人と友達になりたいというより、”友達”という存在が欲しいから友達になってるよね」という言葉。妙に納得してしまった。
自分の本心がよくわからなくなっていた。
大学3年の時、自分が初めて少し興味を持てた「まちづくり」の勉強をするために、転部した。この学部は一応理系に含まれており、文系出身からすると急に勉強が忙しくなり大変ではあったが、単位を取る作業は高校までにやってきたこととさほど変わらないので、それなりに楽しんでいた。
好きなこと、やりたいことを問われる苦しさ
今までの人生を振り返る大きな転機になったのは、卒論執筆から大学院までの約3年間の時期のことだった。
大学4年の私は、卒論のテーマ決めに難航していた。「自分の好きなことをテーマにしていいよ」と言われ、私には主観がないことにやっと気がついた。結局テーマがはっきりしないまま、出来損ないの卒論が完成した。人よりも劣っていると強く感じ、自分は価値のない存在に思えてきた。それと同時に、好きなものや熱中しているものがある人は輝いていると思った。私が今まで重きを置いてきた、人からの評価や集団の中での順位よりも、自分らしいことを自分のペースで楽しんでいる人の方がよっぽどかっこいいし幸せだと思った。
この時初めて「私、もしかして人生ミスった?」と頭に浮び、現状から目を背けたくなった。(まあ、負けず嫌い精神と学歴は生きて行く上でなんだかんだ役に立っているから、完全にミスった訳ではないけどね。)
大学院に入ってからは、その反省から自分の関心ごとや好きなことととにかく向き合った。ちょうど途中からコロナが流行り始める時期だったこともあり、人と会うことも減り人の目が気にならなくなり、自分と向き合うのにはうってつけの時期だった。コーチングを受けるスクールなんかにも通って、人生を振り返ったりたくさん話を聞いてもらうことで、子供の頃持っていた、小さな自分らしさの芽を思い出していった。
自分らしさへの執着
その時に思い出した自分らしさの芽を、大事に育てていきたいと思うがゆえに、少し執着しすぎている気もする。社会人になってからも、会社で自分らしさを追い求めすぎて苦しくなったり、一方で今までの癖でいい顔してイエスマンになっている自分もいて、でも自分らしさを失いそうになったら怖くなって仕事をやめたりしていて・・・自分らしさの育て方を模索している最中。まだまだエリクソンのいうアイデンティティの確立には程遠く、モラトリアムが続いていきそうだ。
でも、そういう個人的な苦しみがあった(ある)からこそ、自分以外に対しても、「そのモノ・ヒトがすでに持っている個性を最大限生かしていきたい」という考えが強くある。今後も仕事・プライベートの両方において、私のポリシーとして大事にしていきたいと思う。