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[Director's Note]アジア演出家フェスティバル2013 『令嬢ジュリー』

 Asia Theatre Directors' Festival 2013『Miss Julie』Director's Note

【ストリンドベリの予言】
『令嬢ジュリー』の作者ストリンドベリは予言している、
『やがて我々がもっと発達し啓発されて、今の我々には粗暴にも野卑にも無慈悲にも思える、この人生の演劇を平然と眺めうる時代……我々の判断器官が極度に発達して、感情と呼ばれる低級な、頼りにならぬ精神機械が無用有害なモノとして廃棄される時代が、恐らく来るであろう』(令嬢ジュリー序文より)

 ストリンドベリがこの言葉を書いてから100年余りが経ったが、果たして今の我々はどうなっているだろうか。人間の自然、本質を体現することによって、または暴き立てることによって、眠っていた感性を目覚めさせるのが自然主義の目的だった筈である。しかし、新劇に代表される日本における近代西洋演劇の輸入は、物語の筋立ての紹介、ただ感情を発露する要素としての科白の翻訳にとどまってしまったように私には思える。テレビで放映されるソープドラマとコノ戯曲とに既視感を感じるのはむべなるかな。我々は今、コノ戯曲を平然と受け止めることが出来る。しかし、それはストリンドベリが言うような発達だったのだろうか。もしや、ただ摩耗しただけではないか。

 私は今回、戯曲を書く作家と事象の証言者である女との対話として舞台を構成した。それは、ストリンドベリが批評的に描こうとした世界(その表出である戯曲の言葉)と、ストリンドベリ本人の言葉に眼を凝らし耳を澄ますことにより、未だ『近代』を生き続ける『現代』の我々が、感覚器官を研ぎ澄まし、今から先について考えるためである。

石井幸一

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