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15th #ぼくてつカフェ「選ぶって、なに?」の簡単なレポート

15回目の #ぼくてつカフェ (オンライン哲学カフェ)をZoomで開催しました。衆院選が近いということでテーマは「 #選ぶ って、なに?」。みんなであれこれ考えました。

開催概要)
■日時:2021年10月23日(土)13:00~15:00
■テーマ:「選ぶ」って、なに?
進行:土屋陽介さん
場所:Zoomにて開催
参加費:無料
定員:25名

10月31日に衆院選がおこなわれる。18歳以上の有権者たちは、候補者から1人(または1つの政党)を選んで投票する。このとき私たちは自由に自分の意思で選べることになっている。だが、本当に「自分で選ぶ」ことはできるのだろうか?
たとえば回転寿司店では、自分の好きな寿司ネタを選べると見せかけて、じつは与えられた選択肢のなかでしか選ぶことはできない。「本当は三崎まぐろが食べたいのだけど…」と願っても、目の前でそれが回っていなければ選べない。
また、コロナワクチンの接種は〝強制ではなく、あくまでご本人の意思に基づき接種を受けていただくもの〟[※1]とされている。しかし、おもなメディアではメリットばかりが強調され、多くの人はその情報をもとに判断している。なのに、結果としてワクチンの副反応に苦しんでも、「自分の意思で選んだのだから」といわれてしまう(仮にワクチンを接種せずコロナ感染したとしても、やはり「自分の意思で選んだのだから」といわれるのだろう)。これで本当に「本人の意思で選べるもの」といえるだろうか? そもそも「選ぶ」って、なに? といったことを当日集まったみんなで考えてみたいです。
※1=厚生労働省 新型コロナワクチンQ&Aより

Peatixで参加募集しました⇒ https://bokutetsu15.peatix.com/

当日)
12:50~入室開始。13:02ごろスタート。申込者18名⇒参加者15名(初参加3名)。ルール&テーマ説明のあと、それぞれに思うところを「問い」の形で出しあう。

問い出し一覧)
①デザイナーベビーの是非。遺伝子を選ぶのは、いいことなのか?
②なりゆきに任せるのはよいことか? 悪いことか?
③「右に同じ」とはなにか? 選んでいるといえるのか?
④「正しい判断力」「選択する力」って、なんなのか?
⑤人生において共通する最大の選択とはなにか?
⑥選ぶことのできないものはなにか?
⑦自分の人生ってそもそも選択しているのか?
⑧選ばれる側になるとなんか嫌な気持ちになるのはどうして?

問い出し後、「似ている問いは合体させよう」と試みるが、今回はとくになく、そのまま。今日話したい問いについて、それぞれ数分間考える。

多数決をとり、本日の問いは【④「正しい判断力」「選択する力」って、なんなのか?】に決定。(ここまでで約40分。小休憩を挟んで再開)

議論の流れ)
15:00までの約1時間10分、いろんな意見を交わしました。今回も超ざっくりすぎるメモになりますが…
【「正しい判断力」とは、先を見通す力ではないか?】【判断には、正しい/誤りという軸と、責任をもつ/もたないという軸がある】【正しいかどうかは長いスパンで見ないとわからないから、結局は選ぶ側のエゴだ】【そもそも「正しい選択」とは何か?】【選択後によい結果が生まれるかどうかは人間の意思だけではない。天変地異で変わる場合も】【正しい選択より、後悔しない選択。よく考えて自分なりに結論を出し、あとで「あの時点では最善だった」と思えたら「後悔しない選択」といえる】【高価な買い物をするときなど、多くの選択肢から最善を選ぼうとすると時間がかかるし疲れる】【「選ぶ」には時間が必要。忙しすぎるせいで「正しい選択」をあきらめている人もいるのでは?】【その一方で、ウインドウショッピングをして「選ぶ」をエンタメとして楽しんでいる人もいる不思議。エゴをなくせる楽しさ? 没入感?】などなどの意見が出て、途中で、もともとの問いは【18歳で選挙権が与えられるのは18歳が「正しい判断力」をもつ、とされたからだと思う。そこでいう「正しい判断力」って何?】という疑問から出た問いだよね、というところに戻り【そういえば先生って「未熟」「成熟」って言葉を使いがち。言うことを聞かない生徒を「あの子は未熟だから」と言ったりする】【上の言うことを聞ける人=成熟してる=正しい判断力がある、と言えるのか?】【そういう一方的な支配を未然に防ぐのが「基本的人権」なのでは?】と、権利の話が深まりだしたところで【もしかすると「ちゃんとした判断ができる人」って、じつは投票行ってないかも?】という説が出て【選挙がない状態で平和な社会が成り立つなら、それはそれでいい】【仮に選挙がないとしたら、その社会のルールを作る人は誰? AI? だとしたら、そのAIのサンプルはどう選ぶのか?】といった議論に移りかけたところで時間がきて終了。

終了後)
5~7名が「廊下」に残り、ふりかえりや雑談など約2時間(大学の哲学の授業でロールズの「無知のベール」について学んだ、という方がいて、それはどんな内容なのか、まるでレポートのようにそらで説明してくれて、しかも土屋さんから適宜補足がある、という貴重な時間もありました)。おつかれさまでした。

反省点)
チャット欄もうまく使っていきたい、と毎回のように書いているのに今回も難しかった…。あと途中参加の方が「待機室」にいるのに気づかない、というのが続いて申し訳ない。改善策を考えねば。
感想)
じつは私の身近には「投票に行かない友人」がいて、その子のことがずっと頭のなかをぐるぐるしていた。友人の言い分は「私が投票に行っても行かなくても、結果は同じだから」。回転寿司にたとえると、きっと、友人(客)から店主へ「○○が食べたい」とリクエストを出さなくても、自分がそれなりに食べたいネタが流れてくる…というイメージ。もしくは、寿司よりステーキに夢中なのかもしれない。でも、私からすると、それでいいの? と思ってしまう。本当に今のままで満足してるの? と。
ただ、今日の対話のなかで「正しい判断をするには時間がかかる」という意見が出たときに、友人の日常を思いながら「そうかもしれない」と思った。用意された選択肢を前に、情報を集めて検討して、正しい判断をするには時間がかかる。友人はまず仕事が多忙だし休日も自宅で仕事してるし合間に好きなYouTubeチャンネルを見るのにも忙しそう。衣食住に気遣い、日々の生活を満喫している。そんななかで、わざわざ選挙のために「正しい判断をする」時間を割く必要って、どれだけあるだろう?
友人だけの話じゃない。見たい映画や動画、読みたい本、聴きたいラジオや音楽…世の中にはコンテンツがあふれている。家事、育児、介護などに多くの時間がとられることもある。興味関心の幅が広がるほど、政治や選挙に関心を寄せる優先順位は下がって当然…のような気もしてしまうのだった。

ところで「選ぶ」は英語で「select」「choose」「pick」…。どう違うんだろう?と調べていたら、このツイートを見つけた。

chooseよりselectのほうが「重要な選択」なのか~とちょっと意外だった。でもたしかに、選択を迫られる(強制させられる)感はselectのほうが強いかも。「選ぶ」は本当に興味深いテーマなので考えつづけていきたい。

★次回 #ぼくてつカフェ 開催情報はこちらhttps://bokutetsucafe.peatix.com/

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