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【前編】大森時生×品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)『IMONを創る』復刊記念対談「IMONを再起動(リブート)する」

 2024年2月17日、いがらしみきお著『IMONを創る』(石原書房)の復刊を記念して行われた大森時生さんと品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)さんの対談「IMONを再起動リブートする」(於・SCOOL)の模様を二回に分けてお届けします。
 2023年末、30年の時を経て復刊された『IMONを創る』。デビューから近作『人間一生図巻』に至るまで、人間とその世界の実相を描き続けるいがらしみきおさんの時代をはるかに追い抜いた思想の核心が書き込まれた本書を、大森さんと品田さんとともに読み解きます。


▼ 外れた予言の書・反省の書/他者の視点を振り切ったもの/一人一冊、『IMONを創る』を書ける


品田
 品田遊と申します。よろしくお願いします。

大森 テレビ東京の大森時生と申します。よろしくお願いします。

品田 今回は、いがらしみきお先生の『IMONを創る』が30年ぐらいの時を経て復刊されたということで、著者でもなんでもない・出版には一切関わっていない二人が好き勝手して「IMONを再起動リブートする」ということになっております。
この本を下敷きにしていろいろとお話していこうかなと思っているんですが、正直あんまり意味がよく分かってないところもありまして……。

大森 ここで今日話すことは決してこれが正解というわけではなくて、僕たちが「こういうことなんじゃないか」と思ったことをつらつら喋るという感じです。

品田 この本自体は非常に凄い本で、30年くらい前のパソコン雑誌の連載コラムだったわけですけど、その時点でのいがらし先生が「今、個人用の新しいコンピューターの開発とそのネットワーキングが始まって、それはこれから爆発的に普及して世の中すごいことになっていくだろうから、それを使う人間の方にも、私が『IMON』と名付けた新しいOSをインストールした方がいい。そのシステムとは、こういうものだ!」ということを説明している本なんですよね。

大森 色んな方が言っていることですけど、信じられないくらい精確な予言の書でもあるし、同時にいがらしさんの予想を超えて現代社会がいびつな状況になっているというのも複雑なところだなと思います。

品田 だから予言の書であり、ある意味では「外れた予言の書」でもある。つまりIMONの予言を下回った現実を生きる我々自身の「反省の書」でもある、という感じもあります。
 という意味で非常にすごい本なんですけど、その一方でとてもいい加減な本でもあって。いがらしさんがゴルフに夢中になっている時期があって、毎週連載でスコアを報告してきたりするという完全に余計な部分が必ず挟まれている。

大森 四分の一くらいゴルフの話をしている回とかありますよね(笑)。

品田 「ついに100切った!」とか。でもそういう部分がIMONの説明と混然一体になって、それこそ本職で哲学をやっている人とかには絶対に書けないような語り口で、いい加減だからこそ書けるというところもあったりする。なので私たちもいい加減に喋りますが、それはそういう考えに裏打ちされたものということでご容赦頂ければ。

大森 強い信念を持って、いい加減に喋ろうとしています。ちなみに皆さんはもうこの本を読まれてるんでしょうか。三分の一くらいの方は挫折しているんじゃないかと思いますが……(笑)。

品田 難しいんですよ、この本は。置いてけぼりになるというか。

大森 多分いがらしさんも書きながら構成しているところがあって、自分の中に完全な哲学があってそれを書いているというよりは、書きながら「こうかも」と思った方に筆が向いたりすることもけっこうある。

品田 マッドサイエンティストの演説を聞いている感覚に近いというか。

大森 僕は読みながら、窪塚洋介さんの演説を思い出したんですよね。選挙の応援演説で、信じられない熱量で喋るし、窪塚さんはカリスマだからみんな熱狂するんですけど、文字に起こすと一個も言っていることが分からないという。そういう窪塚節的な説得力と熱さもこの本には感じました。

品田 やっぱりTwitterを長いことやっていると、自分の発言が「どうリツイートされるか」「引用でどう言及されるか」を気にしたものにどうしてもなってしまうけど、たまにそうではない外れ値の人がいる。そういう人は、自分の中の城で組み立てた奇怪な構造物を嬉しそうに見せてくれる。これはそういうタイプの本で、一番ネット的な感性からは遠いとも言えると思います。

大森 いい意味で、他者の視点がないというか。それこそ品田さんが、『BRUTUS』の書評で「人は一人一冊、その人だけの『IMONを創る』を書けるんじゃないか」と書かれていたと思うんですけど、まさにそういうことですよね。いがらしさんの考えを突き詰めたものがここに書かれているんだけど、本当は誰でも、その人だけの考えを突き詰めたものを作れる。そのはずなのにみんなやってない。というのは、他者の視点を内面化しすぎているから。

品田 そうだと思いますね。

大森 さっき出てくる前にちょっと話しましたけど、「五億年ボタン」(*漫画『みんなのトニオちゃん』(菅原そうた著)に登場する、そのボタンを押すとリミナル・スペースのような何もない空間に飛ばされて、寝ることも死ぬこともできずに一人で五億年過ごさねばならないという装置)を押した後に、まず精神的におかしくなったりするんだけど、ある瞬間から凄い勢いで「わかったぞ! 世界のすべてが!!」という感じで何か書き始めたりする。あの時書いているのが、その人の『IMONを創る』ということなのかなと思います。

品田 おそらくそうですね。でも今は世の中がせわしなすぎて、なかなか気が狂う暇もないという感じがするので、こういう狂った本が出るというのは非常にチャリティだなと思います。

▼ 『SIX HACK』のこと/「作品・傑作としての人間関係」とは/「いいね」の絶大な魔力


品田
 私たち二人の関係も話しておいた方がいいですかね。大森さんとは、ちょうど一年くらい前に「何か一緒にやりませんか」という話をして。

大森 中華を食べながら。

品田 鶏の足を食べながら、「テレ東で深夜に枠があるから、何かやりませんか」という話があり、5月6月くらいに『SIX HACK』という特番として、バラエティというか、ホラーというのか……。

大森 ちょっと変なジャンルの番組をやりましたね。

品田 その打ち合わせも半分くらいは雑談で、最近読んだ本とかインターネットの炎上の話とかを毎週していて、「あれ見ました?」と聞くと大森さんは必ず見ているので、けっこう視野が近いのかなと。

大森 二人とも「シリアスになりすぎない炎上が好き」という共通点があって、話が合いましたね。

品田 その番組の出発点も、「今のインターネットの感じって、いやだよね」というのが出発点にあったりして。

大森 僕たちがうっすらと厭だと思っているものを詰め込んだところはありますね。特に前半のパートは。

品田 いろんなアイデアを出すたびに、大森さんが「それ厭ですね~!」って少年のような笑顔で……(笑)。厭であればあるほどいい笑顔が出てくるという。

大森 恐山さんの厭なこと大喜利が強すぎるというのもありましたけどね。

品田 厭なこと考えるの好きなので。

大森 まず僕たちの中に、「社会で勝っていく」という概念自体へのかなり強い疑問があったというか……。

品田 「出世しよう」とか「サバイバル」的な、ビジネス書とかだとよく見るフレーズですけど。

大森 本当は偉くなりたいだけなのに、それを「価値観をアップデートする」とか「成長する」とかいうオブラートに包んでいるのが不誠実だな、と思っていたところはありました。

品田 大森さんはかなり初期からそのことを仰っていて、番組のキーワードとして「偉くなろう」というのは早い段階から決まってましたよね。

大森 その最初の中華の時点で、「僕は『偉くなる』をテーマに番組を作りたいんです」という話をしていたんですけど、あんまりピンと来てない表情をされてましたよね。

品田 その時点では、「どういうことなんだろう」と(笑)。そこからそのテーマを反転させたような番組ができて放送されたんですが、これは今でもYouTubeで見られます。

 そんな感じでテレビを一緒にやったり遊びにいったりという感じなんですが、お互いに興味の方向性が似ていて、特に「今のインターネットの感じに退屈している」みたいな話がこれまで複数回出ましたよね。そういう思いを抱えた上で『IMONを創る』を読むと、「30年前にここまで言ってるんだ!」とかなり驚くことが多くて。

大森 そうですね。

品田 たとえば、「インターネット的なものが普及していくと、最終的に世の中には人間関係しか残らなくなるんじゃないか? そうなったら世界中のみんなが家族のような関係性になって、それってすごく鬱陶しくなるんじゃないの?」ということがチラッと書いてあって、「なんでこんなに少ない行で〝本当のこと〟を書いてるんだろう?」とびっくりしたんですよね。

大森 しかも全くこの本の中枢ではないところにしれっと挟まれている。そういうところでめちゃめちゃ言い当てているというのが面白いですよね。

品田 そう。チラッとものすごい未来予知をしている。それに対して、期待と熱量を込めて語られているところほど、現実の人類はその予想を下回って動いているという気がします。

大森 「全員が家族になる」ということでいうと、恐山さんとかもタメ口の訳わかんないリプライとかよく来ていると思いますけど(笑)、それって本当に冷静に考えると「なんで?」って感じじゃないですか。知らない人から……。

品田 「誰?」という。別に全然いいんですけどね。ある外食チェーン企業の公式アカウントに必ずリプライを送っている人がいたんですけど、頼んだ定食に添え物の野菜を乗せ忘れられたことで「謝罪はないのか! 詐欺企業!!」という内容を半年以上ずっと送っていて。「なんてすごいエネルギーなんだろう」と思っていまだに心に残り続けてます。そういう執念のある人って今のインターネットには貴重だから、自分に来たらもちろん迷惑なんだけど、嬉しいとは言えないまでも「おっ」とは思います。

大森 「おっ」感はあるかもしれないですね。

品田 そもそもこの本が出た頃には、厳密にはインターネットというものも存在しなかったんですよね。「パソコン通信」といって、チャットや掲示板で知らない人とやり取りができて面白いな、というのをごく一部の理系オタクが楽しんでいたくらいの時期だったと思います。

大森 僕たちが「インターネット」というと動画共有サイトもSNSも当たり前にあるものですけど、そんなのはもってのほかという頃ですよね。

品田 ゆっくり、文字だけが送信されていく時代。

大森 当時と環境が違いすぎて、同じ言葉でもけっこう違うものを指しているということも、この本を読む上での難しいところだと思います。

品田 そこにいがらし先生の造語もてんこ盛りで入ってくる。パソコンの別名である「ビッブ」とかもそうです。

大森 「ビットブレイン」の略ですね。そういう語彙はネットで調べても出てこない。さっき人間関係のことについて仰っていましたけど、IMONの三原則である「リアルタイム」、「マルチタスク」、「(笑)」という技術があれば、作品としての、傑作としての人間関係が作れるということが書かれていたのが印象に残っていて。

品田 ありましたね。

大森 ただ、「傑作としての人間関係」って何なんだ? とも思ったんですよ。この本の特徴として、核心的なところは急に例えを出さなかったりする、ということがあって。それは自分で考えて自分の中に落とし込むことが大事だといがらしさんが考えているからだと思うんですけど。

品田 ゴルフのことの方がいっぱい書いてあったりしますからね(笑)。そういう面白そうなところはサラッと流されていて、パスだけ回されている感じというか。

大森 「傑作としての人間関係」って何なんだろうと考えてみると、僕はTwitterの「理想のタイムライン」のことだと思っていて。

品田 ほうほう。

大森 人間関係って本来は二人で構築して、そこでウジウジやるものじゃないですか。

品田 ウジウジと(笑)。

大森 ただ実際は外部からの意見だったり、相手によって自分が刷新されていくというか、情報を取り入れるだけではなくて、それによって循環していくということが『IMONを創る』で言われている「人間関係」では大事なことなんじゃないかと思うんです。今はイーロン・マスクのせいで微妙になっちゃってますけど、昔のタイムラインって、自分がフォローして「この人の何かを取り入れていきたい」と思った人の情報がどんどん出てくるし、それが更新されていく形でしたよね。それによって相互に影響し合うというのは、けっこう理想的なことなんじゃないかと思います。

品田 そうですね。今自分はTwitterを離れて、Blueskyという十年前のTwitterみたいなところで書くようになっちゃったんですけど、あっちはあっちで素朴すぎるというか、Xのようなデリカシーのなさが足りないなという……。

大森 Blueskyはどういう感じでデリカシーがありすぎるんですか?

品田 あれは自分が能動的に設定をオンにしないと、自分がフォローしている人以外のものが出てきづらい設計になってます。

大森 Twitterでいう「おすすめ」的なものがほぼ出てこない。

品田 もともと「おすすめ」的なものは思想の段階で排除されていて、代わりに「フィード」という、興味のあるワードとかハッシュタグを最初の設定で入力しておくとそれを含む投稿がタイムラインに出てくるタブはあります。ただそれも自分で最初に入力しないといけない。Twitterは一時期、人のした「いいね」が勝手に流れてくる時期があったじゃないですか。

大森 そうですね。

品田 あれはちょっと厭だった一方で、現実の豊かさを模倣する仕組みだったと思います。現実も、歩いていると別に会いたかない人が目に入ってきたりするけど、そこから新しい人間関係とか情報が入ってきたりするわけで。SNSの設計は、「現実の人間同士の遭遇をどうやって記号化して再現するか」というかなり難しいことをやっているんだぞ、ということにみんなが気づき始めたのが令和になってからじゃないかと思います。

大森 なるほど、確かに。「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」ですもんね。この本で言われていることは、そういうサービスを駆使して、それこそ作品としての、できれば傑作としての人間関係を構築するべしという思想でもあるじゃないですか。

品田 そうですね。

大森 その点でもいがらしさんの予想を超えていたのは、人間がSNSで「いいね」とかをされると、どれほどそれに夢中になってしまうかということだと思いますね。本来は関係の構築が目的だったはずなのに、それが「いいね」とかインプレッションを集めることの手段に反転してしまって、それにのめり込んでいってしまう。

品田 それはめちゃくちゃ分かりますね。いざ体験してみないと、あの「いいね」の魔力は分からない。最近はツイートが表示された数まで全員に開示されるようになって、より過熱している。

大森 Twitterに関しては、いよいよそれがお金に繋がっちゃってますからね。

品田 私もプレミアムアカウントの収益化をやってるんですけど、毎月銀行からの封筒が届くんですよ。でもあれは全然儲かるものではないし、「なんか、ちょうど厭かも」という感じなんですよね。

大森 でも収益化が始まる以前から、「いいね」をもらうことの魔力って、目的と手段を反転させるだけの力があった気がします。「いいね」とかがあることによって、「傑作としての人間関係をつくる」ということを目標に持ちづらいですよね。それが現代社会で人間がリアルタイムとかマルチタスクであることを困難にしている理由の一つだと思います。

品田 私、Twitterの「フェイバリット」の星の形のボタンが「いいね」のハートになったときに、めちゃくちゃやだなと思ったんですよ。星という形自体には意味がないけど、ハートってラブとかライクとか好意的な意味が備わってるじゃないですか。それはTwitterというソフトウェアの設計思想に、倫理的な部分や感情の部分に踏み込まれた感じがして厭だったんですよね。

大森 なるほど。「なんかいい」というか「おっ」っていうのは星ですね。

品田 「おっ」っていう気持ちに対しては星であってほしくて、今でも「ハートじゃないけどね」と思いながら押してます。

大森 Facebookとかは、もうこっち(👎)のボタンもあったりするじゃないですか。それも恐ろしいことだなと思います。

品田 それはもっと悪いですね。なんでもかんでも意味をはっきりさせちゃダメですよと思っちゃいますけど……。もっとなんか、カエルの絵文字とかがいいんじゃないかな。そのボタンを押すことにどういう意味があるのかについて、全ユーザーで統一されない方がいいような。

大森 星よりさらにわけのわからないボタンになった方がいいですね、本当は。

品田 三つくらいあってもいいような気がしますけどね。カエルとマグロとキノコみたいなことになったらなんの意味もないわけですから。各々が勝手に「これはキノコかな」とか考えるから、パーソナルな部分が生じる。

大森 いざそうなったら恐山さんも文句言うと思いますけどね(笑)。「つまんなすぎ、イーロン・マスクは」とか言って。

品田 そうかもしれない(笑)。でも設計段階で意味を入れない方がいいというのは、牽強付会けんきょうふかいですけど『IMONを創る』にも書いてあって、IMONというOS自体には内容がない。思想の内容があるわけじゃなくて、それ以前のスタンス。感覚器官を通じて情報が入ってきて、それを処理して行動したりしなかったり、というのを全人類やっているわけですけど、そのメカニズムの在り方がIMONなのであって、「何々主義」とかそういう具体的なところまでは決定してはいけない。

大森 容れ物としてのもの、ということですね。

▼ 「ファイル圧縮」が不可能な現代/地球の裏側のマンモスに興奮する原始人/リアルタイム性と『東京都同情塔』


大森 SNS関係でちょっと思ったのが「ファイル圧縮」という言葉がこの本にはよく出てくるじゃないですか。I-IMONとG-IMONのところ。

品田 I-IMONが意味を司る方で、G-IMONが儀礼を司るという。

大森 あれも「意味」と「儀礼」という言葉で難しくなる感じがあります。ファイル圧縮としての「儀礼」の例で出されていたのは年賀状とかお中元でしたよね。日頃の感謝とか新年の挨拶とかを直接伝えに行く代わりに、贈り物という儀礼に圧縮して送る。

品田 そういう感謝とか挨拶の内容である「意味」を圧縮せずに生のままやりとりしていると疲れちゃうし、処理しきれない。だから一回「あけおめ」という記号に落としこんで送れば、意味は後から展開すればいいし、ラクだよねという。

大森 それを受け取った方も、「こんな紙いらねえよ」と思ってしまう(記号化以前の意味が発生する)。これがI-IMONの作用で、「でも年賀状だからちゃんと返さないとな」と思って返信を返す(儀礼として処理する)のがG-IMONの作用だと。
 SNSとか動画のライブ配信もそうですけど、この本が出たころってインターネットにも今ほどの同時性が存在していなかった時代だと思うんですよ。だから、そういう意味でのファイル圧縮という考え方が現代社会にはほぼ存在しなくなっているというのが恐ろしいなと。

品田 確かに。

大森 僕がツイートをしたら、一秒後には恐山さんが見ているわけじゃないですか。インターネットとSNSがもたらしたこの同時性ゆえに、ざっくり言ってしまうとI-IMONの作用の結果である瞬間的な感情の変化とか瞬発的なむかつきがより研ぎ澄まされている。SNSを見て「なんかこいつむかつくな」とか、炎上している人を見て「こいつ本当に悪い奴だな」という感覚が鋭くなっているような気がするのが怖いですね。

品田 そうか。情報をやりとりするのにコストがかからなくなってきているから、何かヤバいことが起きていたとして、今はそれを撮影して送信しちゃえばほぼ生のままそれを広げられる。昔は一度それを記号に落とし込む手間をかけなきゃいけなかった。

大森 そこで一回圧縮して、ということですね。「圧縮」という言葉も僕たちの感覚だとデジタルな言葉ですけど、本来かなりアナログな行為だと思います。たとえば誰かが人を論破するところを見て、「おお、スカッとするわあ」と思うとかって、I-IMONの悪いところだけが抽出されたような感じだと思うんですよ。

品田 つまり論理のやりとりとか展開ではなくて、「やった~!」「オラァ~!」という感じだけを見ている状態。

大森 昔だったらそういう議論みたいなものも一回活字になって、雑誌に載って、というふうにファイル圧縮されていて、それを解凍しながら読んで「なるほどこういう意見もあるのね」と自分の中に落とし込んでいくという手順があったと思うんですけど、今はもうその瞬間の、I-IMON的な部分だけの盛り上がりでみんなテンション上がってしまうというのが、きちいなと。だから実は、電気信号に反応しているに近いというか。

品田 確かに、情報のコストがかからないから生の感情がそのままどんどんくるわけで。原始人ですよね。私たちは地球の裏側のマンモスに興奮する原始人。

大森 そうですね(笑)。見えないはずのマンモスが、技術で見られるようになっちゃっているだけで。

品田 このIMONには三原則というのがあって、「リアルタイム」「マルチタスク」「(笑)」という三要素が重なり合ったところにIMONというものがあるのだ、ということなんですが、この「リアルタイム」というのが誤解されやすいような気がします。例えばそれこそ原始人がマンモスに興奮したりとか、迷惑系YouTuberがとんでもないことをやっているのを生放送で見て「うおお、すげえ!」となるというのは、いがらし先生が言っている意味での「リアルタイム」ではないんですよね。

大森 それはただの同時性でしかない。リアルタイム性は、どういう風に言うのが正しいんですかね。

品田 まず私たちの目、耳、鼻、口からはいろんな情報を絶え間なく入ってきていると。それらが入ってくる瞬間にはその情報には意味がなくて、脳を経由してラベリングすることで初めて意味として解釈していくんだけれども、まさにその入ってきている瞬間の状態が「リアルタイム」なんじゃないかと思います。
 例えば、炎上に興奮するというのは、既に「興奮する」という形式に変換済みなんですよね。コメントしようとか拡散しようとか、その時点でもう記号に落とし込まれている。だからそれはリアルタイムではなくて、それ以前の、生々しさの前で戸惑うターンがなくなってしまっている。

大森 だから、リアルタイム性って岡本太郎の「なんだこれは!?」にもけっこう近い概念なのかなと。絶えず「なんだ!?」とか「おっ」とか、言語化できないけど自分の中でピンとくるものだったり、不思議な感覚になるものに触れ続けることがリアルタイム性ということなのかなと思いますね。

品田 あんまり関係ないといえばないんですけど、最近芥川賞を受賞した九段理江さんの『東京都同情塔』(新潮社)という小説。

大森 ザハの。

品田 そうそう。東京オリンピックの国立競技場の、ザハ案ってありましたよね。ザハ・ハディドという建築家がデザインした案がなんでか分からないうちにぽしゃって、変なO字型の、「うーん」っていう感じのになっちゃったという。

大森 結局よく分からないものができちゃったと。

品田 でも『東京都同情塔』はそのザハ案が通った場合のパラレルワールドを描いていて、ニュースでは文章生成AIを制作に使っていると話題になっていましたけど、読んだら構成要素の一部でしかなかったです。どちらかというと、人がものを考えたり発信したりするときの、内部的な自己検閲についてが主軸になっている話だったんですよ。
 作品の世界では、犯罪者の中でも生まれ育ちに問題があったりして、一種の被害者ともいえるような受刑者たちをタワマンに住ませようという計画が進行中で、主人公のベテラン建築家はその設計を担当することになる。

大森 なるほど。

品田 この人はめちゃくちゃ理屈っぽくて、頭の中で常に喋っているような感じの人なんですけど、もう脳に検閲官がいるんですって。例えば「顔が醜いな」とか「禿げてるな」みたいなことはコンプラ的によくないから、検閲官が考えの段階でそれをストップするみたいなやりとりが非常に生々しく描かれている。最終的に『IMONを創る』で言うところの「リアルタイム」にどうやって到達するのか、という問いとも答えともつかないところにたどり着いていくような話です。時事ネタがいっぱい出てくること以上に、みんなの中にいる、内部の検閲官の存在――私は「頭の中にインターネットがある」と言っているんですけど――その感覚が書いてあるということに一番同時代性を感じました。「リアルタイムじゃないなあ」というか。

大森 そうですね。「頭の中にインターネットがある」で思ったんですが、例えば会社の上司とかが倫理的によくないこと、明らかに不適切なことを言っている時に、自分の中の判断として「よくないな」と思うより先に、「これTwitterで炎上しそうだな」って思うことないですか?

品田 ありますね。

大森 それって本来は、わけが分からない話じゃないですか。自分の中のジャッジより先にインターネット上のリアクションに思いが行くというのは。インターネットを内面化しすぎていて、自分の中のリアルタイム性ではなくて、インターネット上の無限の他者が集合体としてどういう動きをしそうか、ということばかり考えてしまう。

品田 そうなんですよねえ。どうしたらいいんでしょう。さすがに「そこでどうしていくか」については『IMONを創る』にも書いてないので、ここからは自分たちで考えないといけない。この本が出た時代は、パソコン通信という発展途上のものだったから、生々しい現実を一回記号化できる外部記憶装置があれば、人間はより高みに行けるというか、新しくなれるぞ! という希望があったわけですけど、結局遠くのマンモスに興奮するネオ原始人になってしまった。

大森 (笑)。その外部装置だったはずのものが、内側に入ってきてしまったことで問題が起こっているんだと思うんですよね。

品田 装置の持っている特性に、人間の方が飼い慣らされたというか……人間と機械の良くないところのキメラみたいになってきている。

大森 ほんとそうですね。

▼ 倫理観のアウトソーシング/「前向きな異常者」と「後ろ向きな凡人」/すべての中心である「(笑)」


品田 『東京都同情塔』の話に戻ると、この東京都同情塔というのは受刑者たちが暮らすタワマンのことなんですよね。その正式名称は「シンパシータワートーキョー」という名前なんですが、そういうネーミングも含めて、文章生成AIで出力したものを下敷きにしているらしいんです。AIって、「犯罪者が暮らす塔にどういう名前を付けたらいいですか?」みたいな質問に対して、「『シンパシータワー』がいいと思います」みたいなことを平気で、真顔で言ってくるわけですね。そういう価値観がこれからさらに内面化していきそうな気がします。文章生成AIはさっきの、OSに思想が組み込まれている厭なソフトの代表例ですね。

大森 既に開発者サイドの倫理観というか、「こうあるべき」とか「これはダメ」というのがある程度組み込まれている。

品田 ある程度どころか、もう強烈に。例えば映画のタイトルを入力して「これについての評論文を書け」みたいなことを言うと、ストーリーの説明とかがあった後に、最後「この物語は深い洞察と示唆に富み、私たちに考える機会を与えてくれます」みたいなことを必ず書くんですよ。

大森 それって一番つまらないですもんね、洞察どうこうという話は。

品田 やる気ない学生が書くレポートそのものみたいな文章が出てくるという(笑)。でも今後、文章生成AIは絶対に一般化するし、これから皆さんが使うスマホにも最初からインストールされていろいろ言ってくれるようになると思うので、どんどん自分でそれを言ったのかどうかという区別がつかなくなっていくのは確かだと思います。で、大手がそういうAIを作るのであれば、「面倒ごとが起きるのが厭だ」という一点で、倫理観的なものをあらかじめ埋め込んでおくでしょうし、それは怖いなと思いますね。

大森 倫理観とかもアウトソーシングになっていきますよね。それこそ前ちょっとお話しましたけど、YouTubeで男性の乳首を映しちゃダメということがあるじゃないですか。あれって本来は存在しなかった価値観というか……。

品田 そうですね。

大森 テレビでもなんでも、男性が上裸で出るなんて本当はなんの問題もないわけじゃないですか。でもそれがYouTube、Googleといういち私企業の価値観なのかノリなのかわからないものによってダメとなった瞬間、それは「出してはいけないもの」になる。そういうものに我々の価値観ごと書き換えられていく。この感覚は、文章生成AIの話もそうですけど、より加速していきそうですよね。

品田 そういう勢いに対抗するためには、各々がこの『IMONを創る』みたいな本を書くこと、自分固有のIMONを構築することで、それぞれがそれぞれの形で狂っていくしかない。

大森 自分の中のIMONというか、自分の中での理論、「自分は物事をこういうふうに処理して、世界をこのように判断する」という自前のシステムを作っていかないと、アウトソーシングに乗っ取られきることになる。

品田 『IMONを創る』の後半に「宗教とは何か」についてのページがあるんですが、そこに「宗教は前向きな異常者を作る」ということが書いてある。例えばキリストの復活とか、宗教の教義には理性で考えれば「そんなことはないよね」と思われる物語が含まれているわけですけど、それを芯から信じることによって到達できる前向きさが確かにある。それは悪い言い方をすれば異常なのは確かだと思うんですが、今は大半の人が信じるべき宗教を持っていない。だから現代の人たちは、後ろ向きな……凡人。

大森 言われたくない言葉だ(笑)。

品田 まともなんだけど後ろ向きで、信じるべき指針がないから、とりあえずルールを増やして、それに抵触しているかどうかで判断しよう、という。「あっ、乳首出した! 出しましたよこの男は!!」みたいな世界になっていく。

大森 そうなってますもんね、今(笑)。

品田 それはやっぱり、ちょっとつまんないですよね。

大森 この本の提示する概念では、「(笑)」がかなり面白いと思います。

品田 これは読んでいて一番よく分からないところですね。

大森 さっきも軽く触れましたけど、この本の書き方として、「(笑)」そのものの核心についての言及は少なくて、その周縁の「郷ひろみの家の庭にニワトリの小屋があったら」みたいな話をずっとしているという感じですよね。

品田 「(笑)」とは何か説明のところで、例えば郷ひろみの家の庭にニワトリ小屋があったらちょっと笑えるが、それは「笑い」の内容、アプリケーションであって、それを作動させているところのOSである「(笑)」ではないんだよ、という。こういう例えがいちいち面白すぎて、そっちばかりが頭に残る(笑)。郷ひろみはニワトリを飼っていても絶妙におかしくないし。

大森 いがらしさんが「(笑)」を説明するために最初に思い浮かぶ例が「郷ひろみの家の庭にニワトリ小屋があったら」だったというのも面白すぎますよね。

品田 これは本の内容とかではなく、いがらし先生が天才という話なのですが。
 この「(笑)」とは何かという話で、前に『BRUTUS』で書かせてもらったことでいうと、私は「何これ?」ってなれる感覚のことかなと思ったんですね。「(笑)」というのはあらゆることに言うことができて、例えば「トークライブ(笑)」にすることもできるし、「水(笑)」にすることもできる。私は東京出身なので雪に馴染みがなくて、この前大雪が降ったときも面白かったんですよ。「空から個体が降ってきている」という事実が「(笑)」だったわけです。笑っちゃうというよりは、「?」が浮かぶのにも近い。困惑するというか、ポカーンとしてしまう。

大森 古文でいう「をかし」に近いのかもしれないですね。ユーモラスというよりは、ちょっと心が動く、みたいな意味。そのうえで『IMONを創る』における「(笑)」の概念は、例えば自分が最悪な状況や不幸な出来事の中に置かれたときに、それに真正面からぶつかったら暗くならざるを得ないんだけど、それを上から見て、その状況におかしみを感じるような感覚というふうに僕は解釈してます。

品田 そうだと私も思います。

大森 僕たちも「思います」としか言えないんですけど。

品田 またまた『東京都同情塔』に戻ると、これにも「(笑)」に近いものが登場していて。主人公の建築家は、「建築としてのヒト」の理想的なフォルムとテクスチャーをしているという理由で惚れ込んだ15歳くらい年下の男性と親しくしているんですね。頭の中でぐちゃぐちゃ考えこんでいる主人公と対照的に、彼はいろんな世の中のもめごととか諍いがなんか面白くて笑っちゃうんだよね、みたいな人なんです。べつに馬鹿にしているとか軽視しているわけではないんだけど、「このタワーについていろんな人が何かを言わざるを得ないという、その状況含めてなんか笑っちゃうんだよなあ」というようなことを言っている。これはどちらかといえば、IMON的なものの構築を手助けする人だと思うんです。

大森 なるほど。

品田 好きなセリフがあるんです。いろいろ長い話が終わった後に、「お腹すいた。パンでも盗みに行こうよ」と彼が言うんですね。

大森 (笑)。いいセリフですね。

品田 思いつめた会話をずっとしているときにこれを言うのって、「かっこいいわあ」と(笑)。この「くにゃっ」となる感じは「(笑)」性かもしれないですね。
また別の話になるんですけど、哲学者の永井均さんという哲学者の提唱していた概念で、「超越論的なんちゃってビリティ」という概念があるんですよ。これは何のことかというと、「あらゆる文章、命題は、最後に『な~んちゃって』をつけることが可能である」と。つまり、存在と時間に関する全十巻くらいの哲学書を書いたとしても、その最後に「な~んちゃって」をつけて全てを台無しにすることが私たちには、言葉には可能なのだと。最初に読んだとき、意味はよく分からないなりに感銘を受けましたね。

大森 それはかなり「(笑)」に近い感覚ですよね。「な~んちゃって」性というのは。

品田 でも何なんでしょうね。それがなんで私たちにとって、そんなに重要なのか。

大森 それこそSNSとかの話に戻っちゃうんですが、どんどん「物事に対してシリアスに向き合うことが大事」とされている時代になってきているなという感じがしていて。もちろん世界で実際に起きている事象がシリアスすぎるというのはありますけど。

品田 そうですね。

大森 でもそれに真っ向から対応しつづけると、もう人生に苦しさしか残らないと思うんですよね。でもこの状況を俯瞰して、何かしらのおかしみを見つけることによってサバイブしていくメンタリティの在り方として「(笑)」が大事なのかなと思います。

品田 確かにそうだと思います。それを実践できている人があんまり思いつかないんですが、マスメディアでもなんでも、トップといわれているような人ほど真面目だから、「(笑)」から離れて行っちゃう問題はありますよね。なんでしたっけ、このあいだ大森さんが教えてくれたひろゆきさんの番組。

大森 通販のやつですね。番組名が、『TV通販初参戦!論破王ひろゆきがヒット商品を論破!?  ~それってあなたの感想ですよね?~』。

品田 ひろゆきさんは冷笑的だとか言われてますけど、この番組のオファーを受けて収録を飛ばさないという時点でかなり真面目で勤勉な方なんじゃないかと思います。

大森 これはもう、ひろゆきさんに「『ひろゆき』をやってください」とお願いしているということですからね。

品田 自分がいる状況と、その中で期待されている役に対して勤勉に向き合い続ける。それはそれとして立派なことなんだけど、それはIMON三原則がいう「マルチタスク」の逆で、「シングルタスク」なんですよね。

後編に続く


いがらしみきお著『IMONを創る』

『ぼのぼの』『I(アイ)』『誰でもないところからの眺め』のいがらしみきおによる幻の予言的文明論にして不朽の人間哲学、30年の時を経て復刊!
解説=乗代雄介


登壇者略歴

大森時生
1995年生まれ、東京都出身。2019年にテレビ東京へ入社。『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』『Raiken Nippon Hair』『このテープもってないですか?』『SIX HACK』「祓除」を担当。Aマッソの単独公演『滑稽』でも企画・演出を務めた。
昨年「世界を変える30歳未満 Forbes JAPAN 30 UNDER 30 」に選出された。

品田遊
作家。著書に『キリンに雷が落ちてどうする』『名称未設定ファイル』(共にコルク)など。ダ・ヴィンチ・恐山の名義でライターなど多方面で活動。日記「居酒屋のウーロン茶マガジン」を毎日投稿。

2024年2月17日(土)於 SCOOL(三鷹)
構成・編集:石原書房


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