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日本の「フェミニズム第三波」とはなんだったのか 高橋幸×石原英樹対談

2022年9月下旬、高橋先生と石原先生のお二人による90分間の対談を聞く授業がありました。
コミュニケーション論研究者の石原先生が、フェミニズム研究者の高橋先生に日本のフェミニズムについて質問し、理解を深めていく内容です。

※この文章は、2023年3月に発行された第8期石原ゼミフリーペーパー「woke」に掲載されたものの再編集版です。

話しているひと

ゼミ合宿での記念写真📸

高橋 幸(たかはし・ゆき) ※画像右
石巻専修大学 人間学部人間文化学科 准教授
フェミニズム研究者
著書『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房)

石原英樹(いしはら・ひでき) ※画像左
明治学院大学 社会学部社会学科 教授
近年の研究テーマ「コミュニケーション論の社会学」「性的マイノリティへの寛容性の計量分析」

フェミニズムの歴史

石原 高橋先生の『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房)を入り口に今日はお話をします。変わったタイトルです。私なりに読んで、フェミニズムの見取り図を得ることができました。
高橋 ありがとうございます。
石原 本の途中まではフェミニズムの歴史です。学生はみんな知っていることだと思いますが(学生頷く)。

●フェミニズム第一波

石原 いうまでもなく歴史的に女性は男性に対して世界中で不利な立場に置かれてきた。それに対して西欧女性が発言をはじめるのが、19世紀くらいから。女性参政権運動が起きた。世界初のフェミニズムの運動(メアリ・ウィンストンクラフトが先駆者だと言われてますね)。これを第一波という。日本では1946年にようやく女性参政権を認められる。

●フェミニズム第二波

石原 第一波、これで女性はやっと人権を持てるといえるようになったわけだけど。第二波と呼ばれるものが大体50~60年代くらいに起きた。簡単に言えば、性別役割分業の可視化と批判ですね。アメリカは女性も参加した戦争に勝ち、女性は「家庭に戻れ」といわれた時代。当時のアニメ「トムとジェリー」見ると普通の郊外の食洗機がある。そういうところで妻は、家事と子育てをして家に居る。なんの問題もない幸せに見えるその裏で実は鬱病になる女性も居たということが指摘された(ベティ・フリーダン)。家族という制度そのものの解体までが議論されるようになります。

●フェミニズム第三波

石原 言うまでもなく性別役割分業批判は終わっていない。しかし次に、第三波というものがあります。80年代以降顕著になる、第二派で見えなかった女性の中での多様性(人種や階級)、グローバルな不均等(マリア・ミース)が指摘される。哲学者ジュディス・バトラーによる男女の境界に関する徹底した考察はフェミニズムそのものの根底を揺り動かす。つまり第三波は、グローバル化し不透明化する後期近代に反応した理論だといえる。この第三波っていうのは、第二派とはかなり違うものと考えるわけですね。
高橋 分けてます。その前に、第三波の時代的な特徴として①フェミニズムの役割は終わったとする女性たちの出現②消費文化の大きな影響の二つがあります。
石原 なるほど。①は、性別役割に関する問題提起が数十年行われてきたおかげ、会社で女性も働くようになったし、女性役員も生まれた。そうしてくると、「フェミニズムの役割は終わった。成功した。50年経って、男女は対等になった」って言うような女性たちが80年代末から90年代にかけて現れたわけですね。
高橋 それがポストフェミニズムの考え方です。時期的には、第三波とポストフェミニズムは一緒くらいなんです。

石原 高橋先生は、ポストフェミニズムの状況がどういう文脈で出てくるのか、第三波がそれとどう向かい合うかというところを考える。
高橋 はい。私は第三波フェミニストなんですよ。
石原 第三波が面白いのは、女性性をどう思っているかですね。どちらかと言うと第二派は、女性性というのは男によって、男のために作られたものだから、そんなものに甘んじちゃいけないっていう。しかし第三波はそうでもないんですよね。むしろ逆に、女性性、アリだよねっていう。
高橋 はい(笑)。
石原 「かわいい」も含めて、女性らしさを肯定するフェミニズムっていう感じですかね。
高橋 そうですね。

石原 性別役割分業について第三波はどう考えているのでしょうか。
高橋 性別役割分業が社会的に押し付けられることは問題だと思っています。だけど、それと女性が主体的に自己実現の一つとして性的魅力を追求していくことは別のことだっていう。
石原 なるほど。専業主婦のフェミニストが居てもいいわけですよね?
高橋 もちろんです。
石原 そこ大事ですよね。一時期、専業主婦イコール悪みたいな、そういう思想がフェミニズムの中であって。あれは視野が狭いですよね?
高橋 日本は結局、フェミニズム=第二波が盛り上がったのが70年~80年代なんですね。日本の専業主婦率が一番高かったのは1975年なので、日本でフェミニズムが盛り上がった時期っていうのは専業主婦がすごく多かった。そうなると、フェミニズムをガチガチにやってた人はもちろん独身を貫いたんですけども、結構、専業主婦をやりながら、でもフェミニズムも重要って思った人たちも居ました。そこの層が無いと、日本でフェミニズムは根付かなかったっていうのが実際です。

石原 この女性らしさを肯定するフェミニズムの思想は、どこからきたのでしょう。
高橋 ルーツはやはりフェミニズム第三波が影響を受けた文化(雑誌や音楽やコミック)ということになります。
石原 第三波ってライオット・ガールのような女性パンク・ロックなどの、消費文化の影響は大きいんですか?
高橋 あります。あれが大きいですね。彼女らの読んでいた女性ファッション誌は、やっぱり60年代くらから女らしさを肯定的に書いていて、フェミニズムはずっとそれに反対してきたんですけど、やっぱりそれで育った世代、第三波のときに10代20代だった女の子たちがフェミニズムをやり始めたときに、その女性ファッション誌で称揚されているような女らしさを基盤にしつつフェミニズムができるんじゃないかって思ったんですよね、第三波は。だからルーツはどこにあるかと聞かれれば、それは女性ファッション誌にあると言えるかもしれない。

石原 そこなんですよね。そう。これは非常に面白い。ところでポストフェミニスト、いわゆるネオリベみたいな、女性でバリバリに働いている人たちは第三波とは全く関係のない人たちなのですか。第三波の全体像がなかなかつかめません。
高橋 うーん、基盤は一緒ですね。世代も一緒だし。日本で第三波があまり話題にならない理由を話しましょう。欧米では90年代に第三波が始まり、ポストフェミニストも90年代に出てきたので、70年代から80年代生まれの女性たちが当事者だったっていう感じです。ずっと日本は欧米と比較して10年遅れで動いてきたので、2000年代に第三波が出てくるはずだったんです。
そして日本ではポストフェミニストは00年代くらいに出てきましたが、第三波の00年代っていうのはフェミニズムへのバックラッシュがとても強く起こった時期だったので、日本でフェミニズム第三波というのはなかなか広まらず、日本は最近まで第二波フェミニストの理論でずっとフェミニズムをやってきたという側面があるので、この「女らしさに肯定的なフェミニズム」というのは、あまり日本では知られていない。そういう経緯ですね。

●フェミニズム第四波

石原 なるほど。ジェンダーフリーや性教育への保守層からの批判はその頃でしたね。では次に第四波っていうのはむしろ目立ってきていますが、この女性らしさの肯定と同じものなんですか。
高橋 もちろん、第四波は第三波的な流れを汲んでおり、それを「常識」として内面化しているところもあるのですが、主張内容を見ると、現状では第二波の先祖返りみたいになっており、第二波的な主張をする人が多いという特徴があります。まず何を第四波と呼ぶかというと、インターネット上でフェミニズム活動をしている人を指します。いわゆるツイフェミですね。
ツイフェミがどういう思想を言っているかっていうと、キャサリン・マッキノンとかアンドレア・ドウォーキンとか(ラディカルフェミニズム)が第二波で展開した、性的搾取反対!のような主張が多い。
石原 世代は第三波よりも若いですか?
高橋 若いと言われていますが、主張があまりにも第二波に寄り過ぎているせいか、昔第二波をやっていた今の50代とか60代の方たちも、最近ではSNSを使い波に合流してきて、実態を調査したら、世代層は広いんじゃないかとも言われています。

かわいいカルチャーとフェミニズム

石原 今お話しを伺いながら、ぼんやりと80年代の少女文化のことを考えてました。第三波の話です。日本の少女マンガと第三波の関係は面白いんじゃないか。例えば岡崎京子さん。あの人はそれに近いのかなと思ったりします。
高橋 確かに。
石原 当時、彼女のように少女漫画でセックスを扱うのは珍しかったというのもあるし、かっこよさとかわいさの両方を持ちたい主人公が消費社会を全肯定するんですよね。彼女は、少女漫画の流れの中で先端の人でした。当時の少女漫画というのは、セックスまで行かないんですね。みんな、何年もかけて、好きだ!って言ってチューして終わるんですよ。だけどその中で性に踏み込んだ、例えば吉田秋生もそうか。ただ、性を入れたことが彼女らの貢献だっていう評価は、私にはどうも物足りない。今にして思うと、高橋先生がおっしゃったように、これ自体がまさにフェミニズムの主張を、つまり女性らしさを肯定しながら、今の男性社会に対して、ちょっとだけ揺るがすみたいなことをしていたという側面で考えたい。
高橋 なるほど。
石原 岡崎京子は、Oliveとか、宝島とか、ちょっとロック系の雑誌とかでよく書いてましたね。やっぱりこういう女性らしさを肯定するフェミニズムっていうのは、第三波の萌芽じゃないですか。第二派からは、70年代以降の少女マンガは、恋愛=性=結婚の三位一体の教科書だった、90年代くらいの保守的な恋愛観っていうものを70~80年代の少女漫画が作ったと言われていたけど、それはマンガの進化をみていなかった。
 乙女チック漫画に出てくる丸文字をはじめとして、少女漫画はある種の独特な、閉じてはいるけどすごい豊かな文化っていうものを作りました。やおいと呼ばれたBL。これも萩尾望都っていう天才がいて、本人はほぼ無意識に、ギムナジウムでの同性愛を書いた。そうしたらそれがすごい影響を与えたんです。少女漫画っていうのは性、恋愛、結婚っていうのは全部ひと繋がりだっていう保守的な世界観を書いていながらも、そこからはみ出しているものが結構初期からあった。あるいはかわいさみたいなものが、単に男に媚を売るかわいさじゃないんですよね。今にして思えば第三派のはしりが70年代の女性文化にあったんじゃないかなと。それが90年代に花開く。

高橋 なるほどと思いました。確かに、日本の90年代って女性らしさに肯定的な、性解放の影響があって、女らしさをガンガン主張するみたいな意識もすごく高かったので、結構アメリカと同時的に強い女みたいなものを主張する動きはあったなと思っていて。ただし、フェミニズムの主張の形は採らなかったんですよね。自分はフェミニストだということに対する強い懸念や恐怖感、忌避感がありました。フェミニズムと言わずに、かわいいカルチャーをやるとか、そこが90年代の特徴ですよね。
石原 そうですね。文化っていうのはそういう意味で、塊として見えないところが難しい。先生も書いてらっしゃいましたが、逆に言ったら、力にもならないところがある。プレッシャーグループにもならないんですよね。なので不可視だったのかもしれない。80年代の少女文化のあと、90年代にギャル文化が出て、これこそ日本におけるライオット・ガールだと主張する人もいます。それはたぶん正しい。ただしそれはステレオタイプ化された女子高生文化よりも、bisを創刊した中郡暖菜のようなギャル文化出自の人のことだろう。

高橋 女性写真家の長島有里枝さんっていう方、知ってます? 最近フェミニズムについて色々書いてるんですが、彼女は「女の子写真」で90年代に売れた、蜷川実花とかと一緒に売れた人で。かわいい文化の体現者だったんです。一般にかわいい文化の一つと位置づけられてきましたが、実際は当時からかなりパンクに寄ってます。最近、長嶋さんご自身が、写真家としての自分の仕事をフェミニズムの文脈に位置づけて再提示するという仕事をされています。そうやってアーティストや研究者が当事者としての視点も持ちながら90年代を見直す。第三波、日本の第三波とはなんだったのかを見直すのは、重要かなと思ってます。
石原 そういうことですよね。それを表現する言葉が無くて、社会学者は「かわいいカルチャー」とか言ってましたが、第三波フェミニズムって言うともっとスッキリしますね。
高橋 スッキリします。はい(笑)。

  2022年9月 (以下次号)

清水晶子『フェミニズムってなんですか?』文春文庫
宮台・石原・大塚『サブカルチャー神話解体』筑摩文庫

初出:第8期石原ゼミzine「woke」

フリーペーパー「woke」初号の表紙

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