誘ってもらった冒険に応じられるよう、できる準備をしておこう
先日、誘われて、初めて「哲学対話」に参加しました。
今回のnoteでは、哲学対話に参加して得た気づきなどについて書いていきます。
哲学対話とは?
哲学対話では、与えられたテーマをめぐって、参加者が自由に考え、意見を伝え合います。
テーマが決められている場合もあれば、その場に集まった参加者でテーマを決める場合もあるようです。
今回の哲学対話では、次のテーマがあらかじめ参加者へ伝えられていました。
「あなたの人生において冒険とは何ですか?」
前もって何か考えておくべきだろうかと迷いましたが、自分の日々の生活とテーマとがあまり重ならないこともあって、準備することなく当日の流れに身を任せることにしました。
会場である新宿御苑内のある場所に着くと、主催者を含む3、4人の方々が集まっていました。
テラス席のような共用スペースに、10個ほどの椅子がテーブルを囲んで並べられていました。
5分ほどで全員が集まり、ゆるやかに会がスタートしました。
互いに初対面の人たちもいるようでしたが、僕以外の参加者は何らかの形で過去に参加したことがあるようでした。
他の方々の穏やかな雰囲気も手伝って、あまり緊張することなく場に入ることができたような気がします。
主催者の方が、初参加の僕のために会の経緯と対話のルールの説明をしてくれました。
オンラインではなくリアルな対面で行う場合は、ボールなどを用意し、それを持っている人だけが発言できることにすることで、他の人の発言を遮らない工夫をしているとのことでした。
その日は、主催者の方がボールを持ってくるのを忘れてしまい、参加者の1人が差し出したタオルを代わりに使うことになりました。
テーマをみんなで再確認し、ファシリテーターから最初の発言者へ丸めたタオルが手渡されました。
初めての哲学対話が始まりました。
哲学対話についてさらに知りたい方は、以下のページがお役に立つかもしれません。
僕にとって冒険とは?
対話が始まる直前になっても、「あなたの人生において冒険とは何ですか?」というテーマについて、何も思い浮かんでいませんでした。
2人3人と意見が述べられていくにつれて、他の方の話に刺激を受ける形で、少しずつ言いたいことが姿をあらわしてきました。
冒険という言葉には、一般的に「何かを目指して危険を覚悟で自ら挑む」という主体的で積極的なイメージがあります。
最初にテーマを目にしたときの印象は、まさにそれでした。
自分にとっての冒険とは、それとは異質なもののような気がしていました。
自分で冒険の扉を開くのではなく、冒険の方から扉を開けて訪ねてくることの方が、経験的には多いように感じていたからです。
もしくは時折、周囲の人が自分を連れ出してくれるもの、と言ってもいいかもしれません。
哲学対話に参加したのも、1つの冒険だったということになります。
そのように考えてみると、自分にとっての転機となった出来事の多くは、自分から掴みに行ったというよりも、自分が導かれてたどり着いた、と表現する方が相応しいような気がします。
起業にしても、その決定をしたのはもちろん自分ですが、祖父の生き方が僕の職業人としての来し方に影響を与えたことでしょう。
独立してしばらくした頃、小さくない挫折から立ち上がることができたのも、元同僚からの誘いのおかげでした。
「自分を冒険に誘い出してくれる人を大切にしよう」
それが、初めての哲学対話から得た気づきでした。
その幸運は偶然ではないんです!
ここまで書いてきたところで、キャリア論の「ハプンスタンス・アプローチ:偶然を活用してチャンスをつかむ」のことが頭に浮かびました。
クランボルツ教授たちは、偶然の出来事を最大限に活かすために「チャンスを模索しながら、オープンマインドで行動する」ことが大切であると言います。
単に偶然を待っているだけでは、偶然の出来事に気づくことができなかったり、掴む前に通り過ぎたりしてしまうということなのだろうと思います。
先ほどの気づきを進化させるならば、
「誘ってもらった冒険に応じられるよう、できる準備をしておこう」
ということになるでしょうか。
これは、僕自身の仕事への関わり方をよく表していると思います。
今日は、初めて参加した哲学対話と、その会のテーマであった冒険という言葉から考えたことを書いてみました。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?