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誰かの助けになるということ

マネージャー、同僚、親、友人、教師、コンサルタントなどとして、自分の提案が相手に受け入れられなかった、もしくは、相手に受け入れられるのに時間を要したということはありませんか?

ちなみに僕は、たくさんあります。そういう時は、この言葉の意味を自分のなかで深めながら、次に向けて学ぶ時だと思うようにしています。

他者が成長するのを援助するとき、私は自分の方針を他者に押しつけたりしない。私はむしろ、他者の成長の方向をみて、それが、私のケアの中で何をするかを導き、どのように私が応答すべきか、そしてそのような応答には何が適切であるかを決めるのに役立ってもらうようにするのである。

ミルトン・メイヤロフ著 『ケアの本質—生きることの意味—』 (ゆみる出版) pp. 22-23

メイヤロフは、ケアをされる側の成長に応じて(成長をよく観察することで)、ケアをする側が何をするかは「自ずと」導かれるし、ケアをされる側が自ら求めていることを選択できるように関わるべきだと言います。

僕が主にフィールドとしている企業などの組織では、時間や予算や慣習による制約があります。一方で、このように誰かをケアするためには、ある程度時間をかけてクライアントと関係を築き、信頼を得ることが必要になります。この矛盾をどのように乗り越えていくことができるか、常にチャレンジです。

ただ、この言葉を、進むべき方向を指し示してくれるものとして、必要なときに引き出せるようにしておきたいと思います。

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